空になったコンテナに残る想い

今年の冬服の片づけは、ほとんど姪がやってくれた。
記憶にある限り、季節ごとの衣類の入れ替えは、常に自分ひとりで行ってきたものである。今年は、床に座っての作業が難しくなり、少しずつセーターを洗いながら「さて、どうしたものか」と思案していた矢先、姪が「入れ替え、やろうか」と声をかけてくれた。
彼女はコシノジュンコと同じ学校で学んでいる。洋服の扱いに関しては手慣れており、何よりも丁寧である。セーターやパンツ類にはすべてアイロンをかけ、NHKの「あさイチ」で紹介されていたような畳み方で、見事にコンパクトに収めてくれた。
クローゼットの中から一枚ずつ引っ張り出しては、「着る」「着ない」「着なかった」と分類し、「着ない」「着なかった」の中からさらに、彼女が「これは着られる」と判断したものを抜き取り、それ以外はすべてゴミ袋へ。実に合理的かつ容赦ない仕分けであった。
お互いに疲れぬよう、途中で休憩をはさみながらの作業であったが、一日がかりで片付けは完了した。驚いたことに、私の衣類の収納量は従来の半分ほどになった。収納に使っていたコンテナは3個も空となり、これを処分すれば押し入れはさらにすっきりするであろう。冬の暖房機や夏の扇風機の収納にも、ゆとりが生まれる見込みである。
しかしながら、私はこの空のコンテナをなかなか捨てる決心がつかない。使わずに押し入れに入れておくのは勿体ないことと知りつつ、膝が良くなったら自分の目で改めて確認してから――という気持ちが、どこかに残っているのである。
姪任せの片付けで、確かに部屋はすっきりと整った。けれど、どこか狐につままれたような、現実感の乏しい感覚が残っているのもまた事実である。整理整頓とは、物を処分することだけではなく、心の整理も伴うものであると、改めて思わされた一日であった。
コメント
この記事へのトラックバックはありません。
この記事へのコメントはありません。