ゴミ捨は哲学か?

「どこまで捨てるの?」と家人が聞いた。
「全部捨てましょう」
と言って昨日から始めた片付けではあるけれど。
未だ使えるんじゃないのと家人がストップをかける。
使えなくはないけれど、使う必要のないものはこの際捨てましょう。
小、中の通知表が出てきた。
あ~見つけて良かった。今のうちに処分しとこ。
家人の通知表も見つかった。
小学生に戻って成績を比べる事になった。
「あれ~、もしかしたらオレ負けてるんか?」
似たか、よったかのポチポチ同士だった。
私が小学生のころの通知表は先生の一言が書き添えられている。
三つ子の魂とはよく言ったもので、その頃先生に指摘された性格は今でもそのままである。
それが気にいって取ってあった。
何事かあるとそれを読み返して、反省しながらニヤリと笑っていた。
それも昨日まで。
先生の一言は頭の中にすっかり暗記している。
昨日、盛大に捨てたのは私が描き溜めた油絵だった。
F50,80,100が場所取りをしている。
家庭の中ではこんな大きな絵は架けるところもないのに、何を思ってか学生のように展覧会に挑戦していた。
私がいなくなれば一番家族に迷惑をかけるものがこの絵だろう。
自分で始末するしかない。
けれど思い入れのある絵を数枚残した。
数枚なら家族も始末しやすくなるだろうから。
「人が生きると言う事はゴミをつくりつづけるんやなあ~」
珍しく家人が哲学的な事をつぶやいた。

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