転んでも舞台に立つ ― 水織ゆみリサイタル、笑いと涙の最終楽章 ―

昨日は、待ちに待った水織ゆみさんの久しぶりのリサイタルであった。会場は京都府立文化芸術会館。開演前からロビーはご年配のファンで賑わいを見せていた。
「どちらを向いても高齢者」と言うと語弊があるかもしれないが、実際にそのとおりであった。
とはいえ、皆が精いっぱいのお洒落をし、背筋を伸ばして集う姿は、まさに猛烈なエネルギーの塊であった。

さて、驚かされたのは、主役である水織さんの登場シーンであった。

実のところ、彼女はリサイタルの四日前、土砂降りの雨の中、バス停で転倒し、手首を粉砕骨折するという大怪我を負われたそうである。即座に緊急手術となり、一週間の入院予定を告げられたものの、「リサイタルをやらねば、死んでも死にきれぬ」とばかりに、わずか一日で強行退院。片腕を吊った状態で、椅子に座ってステージに登場されたのである。

幕が上がるや否や、客席には驚きが走った。しかし水織さんは、怪我の顛末をユーモアたっぷりに語り、「なんとしても舞台に立ちたい一心で、根性で退院しました」と笑いを交えて話された。

そして、言葉を詰まらせながら「こうなってみて、初めて見える世界があった」と語りながら、病院の優しいスタッフたちへ感謝の思いを滲ませた。
日常が突如として崩れるような出来事に遭遇するとき、寄り添ってくれる人の存在がどれほど心強いか──その言葉は、実感を伴って胸に響いていた。

さて、リサイタルが始まると、第一声によってすべての不安が吹き飛ばされた。
なんと、パワフルな歌声であることか。

プログラムには「黒い鷲」や「ミロール」といった大曲がずらりと並び、彼女の気迫と覚悟がひしひしと伝わってくる構成となっていた。まさに“集大成”と呼ぶにふさわしい内容である。
水織さんご自身も、「これが最後になるかもしれない」という想いを抱いていたのではなかろうか。客席側も、その覚悟をどこかで共感していたように思われた。

途中には「シニア・アモーレ」が挿入され、緊張をほどよく和らげてくれた。
この曲は、後期高齢者のリアルな日常をユーモアたっぷりに描いた名曲であり、客席は笑いの渦に包まれた。「わかる、わかる!」と、あちらこちらから膝を打つ音が聞こえてきそうであった。
自虐ネタでありながら、むしろ誇らしくさえ思える。これぞ、年の功というものであろう。

二時間にわたるステージは、まさしく笑いあり、涙あり。人生の縮図のような密度の濃い時間であった。
水織さんの歌声は、歌うごとに力を増し、観客を巻き込み、喜怒哀楽を揺さぶっていった。

「会うは別れ」は、私の年齢なら誰もが、その言葉の重みを理解しているであろう。ゆえに、その歌声は深く胸に響いたのである。
ステージには、哀愁と希望とが共存していた。

それにしても、手術直後の状態で、これほどのパフォーマンスを見せるとは。ギブスにスパンコールをかざり、わずかに出た指先でカスタネットを叩いてスペインムードたっぷりに踊り唄う。
水織ゆみさん、まさに恐るべし。いや、プロというものはこうでなければならぬ。いやいや、年齢などというものは、超越できるのだ。

結局のところ、元気というのは、何よりも尊いものである。

水織さん、その歌声と勇気、しっかりと受け取りました。
また次があるならば、必ず伺います。楽しみにしております。

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