秀吉の枷 ‐ 加藤 廣

常滑 土管坂

信長の棺に続く秀吉の枷を読了した。
信長の棺の時も感じたていたが、加藤 廣氏が本当に書きたかったのは秀吉ではないかと私は思う。
私の読書時間は眠る前とバスタイムに限られている。
暑くなり、シャワー生活が続くと本は中々読めない。

比良の家は藤澤周平、大津の家は加藤廣とわけて、不眠症を利用しての読書三昧である。

「ひとたらしの天下人が最後に見た悪夢」と帯に記されていることにも興味を引いた。
秀吉は確かに「ひとたらし」と云われればそうである。
天下人であるから「人たらし」も値打があろうというものである。
先の信長の棺で本能寺から南蛮寺に続く抜け道を塞いで信長を死なせた事を心の重荷にしながら、家康のご機嫌を伺い、必死に己の道を進む様は司馬遼太郎の「功名が辻」とも合わせ読む事により、深くなる。
足軽から天下人になるには並の努力ではない。
秀吉独特の「ひとたらし」という言葉はなかなか重要である。

NHK大河ドラマの「功名が辻」に描かれる秀吉は私のイメージとしては「秀吉の枷」の秀吉と重なってしまう。
小説では信長を葬り天下をとったが、子供の出来ない秀吉の焦りに祢々が嫉妬を押さえて秀吉の子供が出来る事を願う気持ちに複雑な気持ちを重ねてしまう。
茶々が産んだ秀頼は誰の子供かと悶々としながらも、自分の跡は秀頼に継がせるために死が迫る中、意地悪く病状を確かめに来た家康に秀頼の後見を頼み込む姿は天下人でもなんでもないひとりの老人である。
いや、天下人ゆえに頼まざるを得なかった。
後世に産まれた私は「1600の関ヶ原」と受験用に年号を覚え、結果を知っているだけになんとも歯がゆい。
が、これは加藤氏の小説である。
それも忘れて史実であるかのような錯覚が今も残る。

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