九十歳。何がめでたい ‐ 佐藤 愛子|終の棲家

私はこの庭のある家を終の棲家と決めているけれど、それを言い切れない。
姉母もまさか、自分が骨折し、脳梗塞まで起こしてベッドに暮らしていることを理解できないでいるだろう。
92才と言えば十分に高齢だけれど、本人にその自覚はない。
私にも72才の自覚はない。
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姉は今後一人暮らしは難しいだろう、けれど私が家で看るのは負担が大きすぎる。
家族が看るのか、施設に入居するか選択は二つに一つとなった。

姉母の上には94才の長姉がいる。
長姉は施設で暮らして8年が過ぎた。
施設はワンルームマンション使用で、我が家のようにすっかり慣れている。
「この施設には入れて、私は幸せ」とは口癖のように言う。
食べ物に、好き嫌いの激しい長姉は子供と同居したら双方が倒れたと思う。
テレビのボリュームは玄関ドアを開けた瞬間に切りたくなるほど大きい。
好きな時にテレビが見られて、ウトウト居眠りをしている今の生活は、不満なく過ごしてくれているように見受ける。

けれど、長姉の娘は8年間毎週京都から好物を持ってくる。
息子は名古屋から月に2回長姉が病院に行く日に付き合う。
私は週に1度、散らし寿司やうなぎやお造りのような生ものを持参する。
娘は仕事をしているので、休日はないような生活を8年過ごして、かなりな負担だろうと思う。
母親を看取るまでは自分の事は考えられないものの、親を送れば自分は後期高齢者に足を突っ込む。
自分の娘に自分のような生活をさせたくないと、ひたすら願うばかりだけれど、こればかりはなんとも言い切れない。

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暗い話になって来たけれど、姉母を家で看られないときの試算を長姉がいる施設にお願いしたら、トイレに自分で行けない場合月に50,000円負担が多くなる。

だからと言って私が夜中のトイレに付き合えば、私がお先に失礼することになるかもしれない。
月に50,000円の負担は大きくないと言うしかない。
合計すると年間400万円くらいの覚悟が要りそうだ。

私は姉母よりも20才若い。
今、私にもしもの事があれば、その20倍の資金を必要とする。
決して倒れることは許されない。

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最近の話題本に佐藤愛子著「九十歳。何がめでたい」がある。
佐藤さんの毒舌炸裂が痛快で泣き笑いしながらスルスル読める本だけれど、深いところ突いている。
もう、長生きは美徳と思わないでもいい「何がめでたい」と自分の事なら言えるのだけど。

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