真山 仁著ーベイジン
友達の書架で見つけて「真山 仁著 ベイジン」を借りて来た。
2008年の本なのでもう15年も前の本だけれど、2011年の東日本震災時の原発の緊迫感を経験しているので身につまされる思いで読んだ。
真山は好きな作家であるけれど、新刊は単行本なので文庫本が出るのを待つうちに忘れてしまうという読者である。
今回も単行本だったので寝室で読むのにはいささか重く、心ならずも後回しにしていた。
ところが読み始めたら止まらなかった。上下2巻を3日で読んだ。
寝室ではない、居間の椅子に掛けて読みふけった。
久しぶり「ザ小説」という手応えがあった。
内容は
北京オリンピック開催日時に合わせて紅陽原発を運開させるというプロジェクトを軸に、日本と中国の間に横たわるお互いに理解できない国民性の違いを様々に見せつける内容だった。
中国は山崎豊子の「大地の子」やユン・チアンの「ワイルドスワン」等でかなり洗礼を受けているけれど、ベイジンに書かれた中国の体制はそれにもまして凄まじい。
現在の中国ニュースを見て感じる違和感と似ている。
贈賄、汚職、告発、密告、適当な仕事を文化という中国と、几帳面な日本人が同じ目的に向かい、しかも期限は北京オリンピック開催日と決められていれば想像を絶する修羅場が次々と現れて、息をつく間もなく先を読みたくなる。
日本人技師田嶋は広県呉市生まれ、父親は戦艦大和の建造に携わった時に出会った元海軍技術大佐の西島に心酔し、息子の田嶋に「大佐の凄さは、けっして言い訳をしない男気じゃ。しかも部下の責任はすべて被った。まさに人の上に立つ人物の鑑だ」と繰り返し聞かされ、そういう人物になりたいという意思をもって育った人物だ。
頭から血が吹きそうな怒りの感情はグッと飲み込み、仕事を前に進めるために無理にでも笑顔を作り努力を惜しまない人物。
中国側紅陽原発責任者の鄧は文革で父を、天安門で兄を失くし、夢も希望も中国につぶされた過去がある。
そこから中国の組織の中で這い上がるために耐えたすさまじい生き方をしている。
そんな二人がそれぞれに命がけの仕事と思う原子力発電所の建設は時には大喧嘩、時には親友と思いながら運開に向けて一段と強く結ばれて行く。
けれど、中国はオリンピックに間に合わせるという目的を優先させるために安全を優先させる日本人との平行線は結ばれることは無かった。
下巻は原発事故、その時中国はどう考え日本はどう動いたか。
ベンジンの底に流れるのは「希望」
中国人は中国には「希望」は存在しないと言う。
日本人は「希望」こそが原動力になると信じている。
「毎夜それは生まれ、毎夜それは消えるものー。
それは「希望」
年末以来、気持ちが沈みがちだったけれどベンジンの読了後、体中に力が蘇るような気がした。
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