買えない味2 はっとする味 ‐ 平松 洋子

今日のきなこ。不思議なところに足が見える。

平松洋子著「買えない味2」の中に「菓子折り」という文章があった。
面白く思い当たることもあり、クスッと笑ってしまった。
さわりを少しご紹介したい。
ただし省略分。

ある指物の親方が「手ぶらで勝手な頼み事をしにきやがって・・」と怒っていた。
「おれをなめんなよ、とっとと帰れと追い出してやった」
「あちらだって、悪気があったわけでもなし」
「じゃあよ、手土産のひとつも持ってないってのはどうなんだ」
やたら手土産にこだわっている。
けれど、それは手土産が欲しいわけではなく、無理な頼み事なのに手土産のひとつも携えて来ようと思わなかった、その気持のなさに引っかかっている。いや本当は傷ついているのだという事。
菓子折りは、ものであって、ものでない。
一方、手土産一つで人間関係はサラサラながれる小川のごとし。
それが手土産の本来の努め。
手土産は消えものつまり、グズグズ残らない食べ物を相手に合わせて選び、さりげなくあっさりと手渡してお互いをつないでもらう。
ただし、その場ではあっさり渡っても、手土産の存在は思いのほか絶大で自分が帰ったあとにもちゃんと残り続けて、じっくり時間をかけてこちらの心持ちが相手に伝わっていく。

触りの部分だけれど、覚えておいて悪くない文章だ。

一昨年、家人がひと夏我が家の庭で大きな音を出し続けたことがある。
本来は始める前にご近所にご挨拶すべきところ、早々と仕事が始まってしまった。
業者の仕事でもなしと、私もうかうかとしていた。
インパクトの轟音は想像以上に大きく、私も逃げ出したくなった頃にようやく終わった。
その後、九州に行く用事があった。

大分には「荒城の月」という私の大好きなお菓子がある。
それを我が家を取り巻くご近所さんにお詫びの印に買ってきた。
二人家族には小さい箱、大家族には大きな箱とそれなりの気は使った。
それを持ってご近所を回ると、大抵の家は「ご近所ですからお互い様ですよ」と受け取ってくださった。
あるお宅で「絶対に結構です。主人に叱られます」と言ってなかなか受け取って頂けなかった。
小雪が舞い始めた頃の遅い挨拶ではあったけれど。
「私の大好きなお菓子ですから是非に」と頼み込んで、ようやく受け取っていただいたけれど、やはり相当にご迷惑をおかけしたのだと思い至った。
また、あるお宅は、その日の内に京都の銘菓を届けたきた。
どちらもやはりショックではあった。
大きな工事音を出すときは「ものであっても、ものではない」菓子折りくらいは早々に携える知恵がなかったからだろう。

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