日本美術はどこから来たのか―「美のるつぼ」展が語る千年の対話

京都国立博物館で開催中の特別展「日本、美のるつぼ―異文化交流の軌跡―」を訪れた。本展は、タイトルの通り、日本文化は古代よりさまざまな異文化を受け入れ、独自の美意識へと昇華させてきた歩みを辿るものである。
壮大なスケールでの展示は京都国立博物館ならばこそである。今月の15日が最終日とあって、今まで経験のない混雑をしていた。鑑賞者が多すぎてゆっくり鑑賞できなかったのは残念であった。


展示は、弥生・古墳期の出土品に始まり、飛鳥・奈良の仏教美術、鎌倉の彫刻、室町から江戸の絵画、そして明治以降の近代美術にまで及ぶ。文化財の数は200点近く、うち国宝19件、重要文化財53件が含まれている。

特に印象深かったのは、蒔絵技法で西アジア由来の幻獣・迦陵頻伽を描いた「宝相華迦陵頻伽蒔絵冊子箱」である。
言宗の祖、空海(774~835)らが唐で書写して持ち帰った経典(三十帖冊子)を納めるために、醍醐天皇が作らせた箱は、木製ではなく、麻布を漆で固めて整形する乾漆製である。
技法は純日本的でありながら、主題は外来であり、まさに「美のるつぼ」の象徴的作品といえよう。

北斎三部作の対峙展示は特に人気があり、中々絵の前に辿り着けなかった。音声ガイドのボタンが見えにくいほど照明は落とされており、暗さと人いきれで窒息しそうになりながらの鑑賞であった。

葛飾北斎「富嶽三十六景」の中でもとりわけ著名な三作――「神奈川沖浪裏」「凱風快晴」「山下白雨」が、会場内で一堂に会していた。三点が並ぶことにより、互いを引き立て合う構成となっていた。
北斎は、西洋から伝来した遠近法や陰影技法を独自に解釈し、江戸の風景画に落とし込んだ。西洋の写実と日本的装飾性はまさに“るつぼ”に他ならない。

彫刻展示の中でも、十八羅漢坐像の一体である「羅怙羅尊者像」は写真撮影を許されていた。
羅怙羅尊者(らごらそんじゃ)は出家前の釈迦の子と言われ、羅怙羅尊者像(らごらそんじゃぞう)は自分の胸を両手で大きく切り開いて、中にあるお釈迦さんの顔を見せているという尊像である。

では、なぜ胸を切り開いているのかというと、「人はその心の中に必ず仏の心を宿す」という教えを伝えるためのものであると解説されている。

「日本、美のるつぼ」は、美術展の枠を超えた文化史的考察の場である。美術は時代の鏡であり、同時に交差点でもあるのだ。

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