参政党草案を読む:「国家主権」へ舵を切るのか

2年間通った歴史教室の最終日に、喫茶店で交わした友との会話は、奇しくも「参政党」の憲法草案に及んだ。一見すると魅力的な理念の背後に潜む、民主主義の危機。草案を読み、強い違和感を感じた。

二年間通った「歴史教室」が、昨日をもって終了となった。テストのないのをよいことに、あまり熱心な生徒とは言えなかったが、それでも最終日の今日の授業に出席できたことは、何よりのことであった。

授業後は、共に通った友人と近くの喫茶店で、ケーキセットを頼んでささやかに祝賀した。炸裂する歴史談義、と言いたいところではあるが、実際には今日の話題は歴史からは少し離れ、選挙の話に終始した。

話題にのぼったのは、急浮上する「参政党」について、どう思うかという問いであった。実のところ、今回の参議院選挙には、これまでと異なる空気を感じていた。ネットを通じた選挙運動の影響が強まり、偽情報への注意喚起がニュースでも繰り返されている。だが、素人が真偽を見分けるのは容易ではない。結局のところ、政党の政策や公表された文書を自ら読み、判断するしかないのだと感じる。

最近、特に熱気を帯びている参政党の「新日本憲法(構想案)」が、その日の話題の中心となった。
新日本憲法構想案

そもそも、なぜ参政党が支持を集めているのだろうか。おそらく、既存政党への閉塞感が背景にあるのではないか。自民党から参政党への支持移行という傾向は、否定しがたく、理解もできる。しかし、それでもこの憲法草案の内容に接して、なお支持できるのかは問われるべきであろう。

戦後の日本を支えてきた人々は、国民主権を柱とする日本国憲法を守ってきた。ところが参政党の草案では「国民主権」が否定され、「国家主権」が明記されている。これは、国家が国民の意思決定の上に立つ構造を容認することにつながりかねず、民主主義の根幹を揺るがす重大な転換である。この一点を読むだけでも、驚きを禁じ得ない。

全文を精査する力は持ち合わせていないが、要約して感想を述べるならば、以下の通りである。

参政党の憲法草案は、一見「伝統重視」や「教育改革」などに訴える魅力的な表現を持つが、民主主義および立憲主義からの逸脱、法的整合性の欠如、そして基本的自由や人権の希薄化という重大な問題を内包しているように思われる。粗削りであるにせよ、この草案は次回衆議院選挙でも大きな支持を集めるようであれば、日本は思いがけない方向に舵を切る可能性がある。一時の熱狂に流されることなく、憲法を「改正」ではなく「全面的に書き換える」という提案の重みを認識し、慎重に目を通してから判断してもらいたいものである。

とんだ「卒業祝賀会」となったが、歴史を学んだからこそ、憲法の意義をより強く実感することができた祝賀の席であった。
これまで政治に関する発信を避けてきたが、今回ばかりは参政党の「新日本憲法」草案に対する率直な違和感を表明し、この選挙に一石を投じたい。

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