米価の混乱と政治の責任ー小泉農水相の一言が示すもの

小泉進次郎氏が農林水産大臣に就任して以降、米価を急激に下げると言う報道が相次いでいる。事実であるならば、今までの自民党の農政は一体何をしていたのかという疑問が湧いてくる。政権交代があったわけではない。ただ大臣が交代しただけである。農政のあり方そのものが問われているように感じる。
つらつら考えてみるに、与党の有力議員たちの意向が米価の動向に大きく影響しているのではないかという思いが拭えない。特に選挙基盤が強く、外野の批判に左右されない立場にある政治家ほど、大胆な改革を打ち出す傾向がある。だが、その改革が実行されるかどうかは、党内の力関係にも左右されよう。抵抗勢力は必ず存在する。加えて、農家の生活を守る視点も欠かすことはできない。改革と保護、その落としどころの難しさに、政治の本質がある。
しかし、ここまで米価の高騰を抑えられなかった自民党の責任は重い。農政を担ってきた与党として、その結果は真摯に受け止めるべきである。
昨日、久しぶりに石川県産の米を買おうと、いくつかの販売所に問い合わせを行った。かつて購入した「六星」は「ひと月前から在庫はない」との返答に絶句した。その手前にある「道の駅」では、以前は一人30kgまで購入できたが、今回は「コシヒカリ」限定で、5kgあたり3,250円、ひとり10kgまでとのことだった。
さらにJAにも連絡を入れたところ、在庫はあるが価格は5kgあたり3,930円である。市内のスーパーでは同量が3,760円で売られていた。JAが最も高いという現実に驚かされた。
下記は近くのスーパーの価格である。
この価格の差の理由は、小泉農水相の就任着の記者会見でようやく合点がいった。原因は「古米の競争入札」にある。競争入札とは、最も高い価格を提示した業者が落札するという方式である。小泉大臣の「政府が儲けてどうする」という発言は、その融通性のない政策を示している。
国民の財産である国有米を安く売ることはできない、という従来の財政的な理屈である。これは森友・加計学園問題のように、国有地を不当に安く売却して問題視された事例への反省が背景にあるのだろう。
しかし、今回の米の問題は様相が異なる。米価の安定、さらには消費者の生活防衛こそが目的であるならば、高値入札ではなく、むしろ「安値落札」が望ましいはずである。それにもかかわらず、融通の利かない制度運用が結果として国民生活に打撃を与えている。「開いた口が塞がらない」とは、まさにこのことである。
最近になって導入されようとっしている「随意契約」により、米価は下がると予想されるが、これはこれで副作用が大きい。小泉大臣の選挙区が都市部であることを考えれば、農村の実情を体感しづらいという構造的な問題も見え隠れする。選挙はやはり、私たちの生活と直結しているのである。
今年の「米騒動」は、私の長い人生でも初めて経験する深刻なものである。これはもはや「国家の非常時」と言って差し支えないだろう。世界に目を向ければ、アメリカではトランプ氏が再び大統領となり、国際情勢が混乱の只中にある。しかし、足元の政治が安定していなければ、どれほど国際社会を論じても意味をなさない。
まずは6月、米価が実際に下がるのか注視していきたい。そして、この問題を通じて、政治と暮らしの関係性を改めて問い直していかねばならないと強く思う。
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