姪と私の読書日記

宮本輝著の『潮音』を読み始めた。私は1巻から順に読んでいるが、幕末好きの姪は、私の読了を待ちきれずに2巻から読み始めた。読みながら何やら手元にメモを取っている。
何を記しているのかと尋ねると、「登場人物の区別」であるという。確かに幕末が舞台で庶民が主人公となれば、馴染みの薄い名前が並び、登場人物の関係性も時代背景も複雑である。だが私は、そういったことをいちいち気に留めず、流れるように読み進めてしまう。
姪は、美術館に行っても一つひとつの展示品を図録と照らし合わせながら、丁寧に鑑賞していくような人間である。対して私は、展示を大まかに眺め、目についたものを印象で楽しむというタイプである。この違いは本の読み方にも表れているようだ。
『潮音』の巻末には、きちんと主要人物の一覧が掲載されている。普通ならそれを参照すれば済むはずだが、姪はそれすらも自分で整理し直さなければ気が済まないらしい。几帳面というより、もはや職人的とも言える。
私はといえば、すべてが適当である。人の名前も、関係も、物語の中で何度か出てくれば自然に覚えるものと高を括っている。その違いが面白くもあり、感心もさせられる。
全てを軽やかに受け流す私と、何事にも真面目に向き合う姪。正反対であるが故に、案外バランスの取れた組み合わせなのかもしれない。
几帳面にメモを取りながら物語を追う姪の姿を見ていると、これはただの性格ではなく、物事に誠実であろうとする姿勢の表れではないかとすら思えてくる。私はそんな姪の読み方に、敬意を抱いている。
『潮音』という大河のような物語の中で、私たちはそれぞれの舟を漕いでいる。舟のかたちは違えど、同じ水面を進んでいるということが、何より豊かな時間であるように思えてならない。
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