母の面影を姪に見る日々

姪のしぐさに、ふと母を思い出すことがある。

関係を整理すると、姪の母親は私の長姉である。私はその長姉とは23歳の年の差があり、姪とはわずか3歳しか違わない。子供の頃、私は姪とまるで姉妹のように暮らしてきた。

今、50年ぶりにその姪と再びひとつ屋根の下で過ごしている。すると彼女の何気ない所作の中に、かつて母が私に教えようとしていたことが次々と思い出される。私はというと、母の教えを右から左へと受け流し、すぐに忘れてしまったが、長姉はそれらをしっかりと身につけ、さらに自分の娘、すなわち姪に伝えたのであろう。

やはり長女というものは、素直に育つものらしい。そしてその素直さゆえに、教えをきちんと守り続けてきたようである。

たとえば、シーツを洗濯したときのこと。母から教わった通り、二人で両端を持ち、ピンと引っ張ってしわを伸ばして干せば、アイロンをかける必要はない。私もかつてはそのように習ったが、狭いマンションのベランダでは一人で引っ張ることもできず、いつの間にか忘れてしまっていた。今こうして、姪と二人でシーツを引っ張りながら笑い合い、思い出話に花を咲かせていると、時が巻き戻ったような不思議な感覚に包まれる。

また、母がよく作ってくれた鯵の手毬寿司も、姪が作ってくれた。新鮮な鯵を三枚におろし、酢水に漬けて保存する。酢飯を小さく丸め、最初におぼろ昆布を敷き、その上に大葉をのせ、さらに鯵の切り身を重ねる。仕上げにすりおろした生姜を添えると、見た目にも味にも母のぬくもりを思い出す。こうした料理を、無駄な動きなく、手際よくサッサとこなしてしまうあたりも、まさに母に似ている。

なぜ姪に、こんなにも母の姿が重なるのか、自分でもよく分からない。しかし、20年前に他界した母が、今そばにいるかのような穏やかな気持ちになるのだから不思議である。

日々の暮らしの中で、忘れていた記憶がふと甦る瞬間がある。血のつながりというものは、時を超えて、確かに伝わっていくものなのだと、姪との日々が教えてくれている。

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