桃と桃の肌
写真は、skogの棚の上に置いてあったフェイクの桃だ。
とても良く出来ているので、季節外れの時期には「これは桃ですか?」と不思議そうに聞かれたものだ。
「あ、傷つきやすいので触らないでくださいね」と私は澄まして答えた。
桃を見るといつも思い出すことがある。
母が80才の半ばを越えた頃、わが家で食事の後片付けを手伝ってくれていた。
その時、母の腕の内側に洗っていた箸の先が突き刺さった。
母の皮膚は桃のように薄皮がスルリと剥けた。
その様子を見た時に、年を取るとはこんな事なのかと「年を取る事」ことを「見える化」して感じたものだ。
ところが、先日慌てた私はモノを持っていたのでいつもと違う角度で、部屋に入ろうとしてドアノブにしこたま腕を突き当てた。真っ赤な血が一瞬に出た。
痛かったけど、血の色があんまり綺麗な赤だったので、一寸見とれた。
血止めをしてよく見ると、まぎれもなく「老化の、見える化現象」で私の皮膚も桃のようにつるりと剝けて薄皮がめくれていた。
桃と桃の肌は全く違う。
何となく、覚悟のいる年齢に差し掛かったと自覚する現象だった。
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