カーナビはストレス

大荒れの天気が予想されていましたが、気抜けするほどの好天で午後から家人の下宿のおばさんのお見舞いに奈良へ出掛けました。
車に乗るたびに繰り返される小さな諍いは家だけの問題でしょうか。
「止まればよかったのよ」「右折が正しいと思うけど」と助手席から口を挟まれることが鬱陶しいということは分かるのだけれど。
家人が同乗する時、余程のことがないと私はハンドルを持たない。
「眠たいから」というので運転を変わると、急に目覚めて「あーでもない、こーでもない」と指図が飛ぶ。
私も運転暦は、自動二輪が自動的についていた頃からのドライバーなんですけどねえ。
私のナビでは争いごとが続くのでカーナビを導入して10年近くたつのだけれど、このカーナビのお陰で車内は平穏かというと、さにあらず。
よく分かっている道をナビに案内してもらうとその不正確さに余計なストレスを起こす。
私は知っている道なので「こっち」とナビとは違う道を勧めるが、家人はナビに従って走る方が正しいと言い切る。
結果遠回りをして元の道に戻る。
その後自己判断のコースを取り、暫らく走るとふっと忘れてナビの指示に乗るとどこまで走った後でも、初めに推薦した道まで連れ戻される。
「あんたのお陰で大変よ」とナビに毒づきながらも知らない道はついナビだのみになる。
そういえば首都高はナビが大活躍してくれて、助かった時期もありましたっけ。
今日も降りるべきICを通過し次で降りて引き返すと、わけの分からない小道に引き込まれ、思わぬ難儀をしました。
うっかり通過したことが悪いのは、本人に分かっていることだからここは黙って我慢をした。
その後はすぐ近くにいながら方々引き回すナビに当たり散らすこともグーッとこらえて、平和に治めましたが、器械に頼る生活に慣れてしまうのもおそろしいことどす。

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