揺らぎ始めたニコニコ介護

ニコニコ介護は難しい。
姉母を看ていると、良かったり悪かったりで判断の基準などはない。
本当に顔色を見て判断するしかないのも事実。
姉母ばかり看ていると気持ちがそこに集中してしまい、施設で過ごす時間が日常的で落ち着いてしまう。
明日から4日間、東北の四大夏祭りに出かける。
行こうか、止めようかは去年から出掛ける度に悩む。
特に今は悩む。
今日の姉母は、お風呂に入り「気持ちが良い」と、何の心配もないように見える。
「明日から4日間来られないから、元気で過ごしてね」というと「うん」と頷いた。
散歩に、施設の中をベランダ越しに見える風景を見て回った。
私が来ない事を理解出来ていると思ってなかったのに、突然「りょこう?」とつぶやいた。
何度聞き直しても「りょこう?」と聞こえた。
「待てるよね」「うん」
ちょっと可哀想な気がして後ろ髪を引かれる。
ニコニコ介護は自分の生活を守りながらでなければ長続きしないという持論を持っていた。
去年とは様相の違う姉母を前にちょつと揺らぎ始めた「ニコニコ介護」
でも介護は長い時間の積み重ね。
息抜きも必要。
言い訳だろうか。
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