愉快な病室|姉母看護日記

昼食の介助をしようと思ったので、昼前に病室に行った。
ショックを受けているのではないかと、心配していたけれど思いの外元気だった。
「この子(右手)が隠れて出てこなくてねー」と言う。

右手がだらりと下がって、布団の中から出せないことを指している。
「それは、困ったねー。頑張って動かさないと固まるからね」と言うと、素直にうなずく。
かなり、我がままで持て余すことの多かった姉母が子供のようになっていた。

病院食やお粥はまずくて食べられないと言っていたけれど、少し前向きな姿勢が出てきた。
「食べないと元に戻らない」と言う私の言葉を信じて、頑張らなければと必死なのだろう。
言語麻痺は軽いようなので、大きな声を出してみようかというと、大きな声で「あいうえお」と言い始めた。
50音を全て言った後で、「私、教育勅語を言える」と言った。

今、流行りの教育勅語を朗々と聞かせてくれた。
何故知ってるのと聞くと、書いて覚えさせられたそうだ。
大正14年生まれはそんな時代背景だったのだろう。

神経内科の先生に姉のMRIを見ながら説明を受けた。
意外に脳の中は未だ詰まっていたけれど、頭部の深部に真っ白な部分があった。
そこが、壊死している所で運動機能に携わるところだった。

昨夜から始まった点滴と、今日から指先のリハビリを始めて、早い回復を目指しますと若い主治医は言ってくれた。
脳梗塞は多分入院後のものだろうと言われるけれど、それについては大病院の連携の悪さに非難がましい気持ちにもなる。
入院初日の夕食時におかしいと言っていたのに、二日目の昼まで連絡してもらえなかった。
それについては、脳梗塞の初期には症状に波があって識別しにくいと説明されたけれど、納得は出来なかった。
けれど、姉の右片麻痺は事実なので、非難しても治るものではない。
心安らかに治療に専念しなければ。

姉は昨夜は10時過ぎまで,若い先生が3人でどうのこうのと相談していて気の毒だった。
「奥さんが待ってるから早くおうちにお帰りなさい」と言ったら「みんな独身です」と言ってたわとニンマリ。
前向きなパワーに圧倒される。

先が長くなりそうなので、パジャマは素敵な方がいいだろうと、病院からデパートに回って買い物をしてきた。
ついでに一寸ほっこりご飯を頂いた。
IMG_3879.JPG

入院手続きや手術承諾書は家人が受け持ち、全ての私物の名前書きも引き受けてくれた。
今日は、鉄工房も休んで姉が快適に過ごせるようにベッド周りに気を配ってくれている。

感謝。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • follow us in feedly

関連記事

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

skogBLOG内の記事検索

カテゴリー

過去の記事

生活・文化の情報収集

ブログランキングで生活・文化関連の情報を収集できます!
ページ上部へ戻る