タオルは人生の縮図かもしれない

タオルは、毎日の生活に欠かせない相棒である。
そして時に、フカフカからゴワゴワへ変わるその姿は、人生そのものを映しているようにも思える。
私はそんなタオルに、ちょっとしたこだわりを持っている。

30代の頃、友人に「タオルを買う人は贅沢な人よ」と言われたことがある。なるほど、そうかもしれない。けれど当時から私は迷わず買っていた。というのも、頂き物のタオルは見た目こそ美しいが、なめらかすぎてどうにも使えなかったからだ。

タオルにはゴワゴワ派とフカフカ派がいる。私はフカフカ派。だから少しだけ面倒である。なぜなら、あのフカフカはあっという間に姿を消すからだ。新品のふんわり感も、ひと月もすればゴワゴワへと変わってしまう。
毎日お日さまに当てれば、なおさらである。

ゴワゴワになったタオル分厚過ぎて雑巾にもならない。そうして「雑巾にもなりきれないタオル」たちが段ボールに溜まり、場所を取っていく。その段ボールを眺めるたびに、ちょっとしたストレスになる。

そんな私の密かな楽しみは、今治のタオルメーカーのHPをのぞくこと。そこにはため息の出るようなタオルが並んでいる。中にはびっくりするような高価な一枚もあり、「一度だけ試してみたらどうだ」と悪魔がささやく。しかし心の中の理性がすかさず制する。「知らない世界を知らないままでいる幸せもある」と。

それでも救いはある。雨の日に乾燥機にかければ、タオルは見事にふんわりとよみがえる。その姿はまるで魔法のようだ。だから私は時々の雨を楽しみにしている。

時々の雨に感謝して、ゴワゴワもフカフカも、どちらも人生のスパイスとして付き合うしかないのである。

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