断捨離再考
断捨離の本は読んでない。
方々のブログに書かれているので、おおよそ見当はついた。
私は著者によく似た考え方かもしれないと思いつつ、読む本が溜まっているのでまだそこまでは手が伸びていないのが実情。
が、一昨日カブトムシのセーターの話を聞いて私の考え方を少し方向転換しようと思う。
未だデジカメのない時代に、思い出の品々は写真に写して処分した。
去年の夏には家族全員の卒業証書も捨てた。
あの筒状の物がゴロゴロと段ボールにあって、開ける事もなかったから。
それで十分と思っていたけれど、やはり早まったか。
写真と現物は違う。
全部とは言わないまでも、想い出は大事なものだ。
Yさんの妹さんからカブトムシのセーターがいかに良く出来ていたか電話を頂いた。
Yさんの長女さんからはブログにコメントを頂いた。
みんな、カブトムシのセーターを着せているから。
もう、涙が出そうだった。
30年以上着込んだセーターだ。
私なら・・・とっくに
カブトムシのセーターはどれほど強い絆を結んでいる事か。
近年の合理的とか効率的とかが、人情を薄めているのかも知れないな。
寸前のところで大事なものをとり返したような安ど感がした。
コメント
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いつも気持ちは揺れながら、目の前の古めかしいものはもう使わないし・・・・と少しづつ少しづつ処分してきました。
1昨年、パソコンが突然故障。
ショックでした。何年もためてきた思い出の写真やデータがすべてパーになったのです。
思い返すにも残念です。ポカッと我が家の、私の歴史に穴があいたような寂しさを感じました。
その時、不思議に今まで簡単に処分して気持ちは清々したはずなのに、しまったーーー。という後悔と寂しい思いがジワ―と湧いたことでした。
今は、捨てるのが怖くなっています。
もうちょっと活かし方はないかしら?と。思いとどまっていますが、うまく生かせるか力量が問われるなー。と思っています。
華やぎさん
パソコンのデータ―をなくしたんですかあー。
他人事ではありませんねえ。
私は今セッセとCD-ROMに焼いています。
私は、物はホドホドに整理して、想い出はしっかりと管理する。
でやってみようと思います。