価値観の価値

老害と言われるのは年を重ねるにつれて、自分の価値観に固執するからではないだろうか。
目に見えるものも、見えないものも永年培った価値観の物差しで測る。
時々到底受け入れられない事もあるけれど見方を反対にすると「そうかな」と合点する事もある。
だから価値観は不動ではなく動ごいて当たり前と思う。
価値観を変えるとモノへの執着からも離れられるような気がするがどうだろう。

私はモノへの執着は強い方だと思う。
それを手に入れた時の背景や価値観に縛られて中々手放せないものがある反面、価値なしと思った瞬間に手放している。
手放すものも人並み以上に早く、多い方だろう。

例えば、価値観とか人生観と言う高尚なものではないけれど、今年の夏の体験。
2年前に岩手を旅した時に鉄鍋の魅力に目覚めた。
それからは、鉄なべ、鉄フライパン、鉄瓶は健康を意識して使っている。
過去に何度か挑戦した鉄のフライパンは挫折の繰り返しで苦い思い出がある。
再度磨きをかけてツルツルにして使い始めたが、しっかり油を引かないと手厳しい結果になる。
使いながらプレッシャーを感じる。
しかも一番簡単な目玉焼きが綺麗に焼けない、何時も何処かこびりつく。

伊那市の産直市場の入り口にまさかと思う価格でテフロンのフライパンがあった。
期待せず一時のお遊びで買ってみた。
油も引かず目玉焼きがスルスルとフライパンの上で動いた。
しかも手首に負担のない軽さだ。
目玉焼きだけに使えばいいやと思っていたけれど、軽さと手入れの楽さで頻度は一番になった。
けれど、薄い造りなので熱伝導の早さが半端ない。直ぐに高温になる。
そこに行くと鉄のフライパンはどっしりとした分一度高温になるとかなり逞しく仕事をこなす。
でもやっぱり、軽い方を手に取る。
あの鉄熱はどうしたのかと思うけれど、楽な方にはすぐ慣れる。
やっぱり私には鉄器は使いこなせない。

それに今年は毎夏愛用した「山ぶどうのバッグ」は持たなかった。
奥入瀬の「ゆずりは」のウインドウに竹バッグが置かれていた。ドアを開ける前からその竹バックに一目惚れ。
大きさも軽さも希望通りで、今年は何処に行くにも竹バッグばかり。
やっぱり楽な方に慣れる。
あれほど好きで福島の「会津工人祭り」にまで行って買ったというのに。
山ぶどうのバッグはデパートのブランドバック程に高価だ。
長年持つと艶が出る。艶のないのは新しい証拠。新しいバッグは束子をかけて艶を出す。
欠点は重い事。財布と携帯を入れると買い物に出かけるには負担が大きくなった。

欲しかったものから気持ちが離れ、欲しいものは年々少なくなる。
衰えないのは食欲ばかり。

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