その話は今日はやめておきましょう-井上荒野著

深夜12時過ぎ、起きてるとも寝てるともつかず頭がボォーとしながら「そろそろ寝なければ」とベッドに入った。
これから30分から1時間が私の読書時間だ。
井上荒野の本がどっさり届いているので鬼平犯科帳をひとまずお休みにして「どれから読もうか」と見比べて「その話は今日はやめておきましょう」というちょっと変わった表題の本を選んだ。

どうやら私たちのような高齢夫婦の周りに起きる日常が書かれているようだ。
一寸親近感を感じながら読み始めたが、どうもお隣に住む若夫婦とは上手くいってないらしい。
高齢者と若年者との断絶がいきなり出て来た。
数ページ、はしりの部分を読んで眠るつもりだった。
既に今日は本が読めるだろうかとベッドに入る前には心配になるほどの睡魔に襲われていた。
冒頭のはしりを読み始めると何故か気持ちの悪いものを感じた。2018年に織田作之助賞を受賞している本なのに。
「私がおかしいの?」と思った途端に眼がさえた。
数ページ読めば眠るだろう、自然の眠りが来るまで読もう。と、読み始めて遂に一睡もせずに朝を迎えた。
スマートウォッチの睡眠時間に「記録なし」と出ているのにも驚いた。

この本が面白くて徹夜になったわけではない。
心の中に生れた違和感がモゾモゾと増幅してきたからだ。
この小説の主人公は72才の夫と69才の妻、26才の青年で彼らが繰り広げるいかにも日常に在りそうな話が主題になっている。

違和感の元は老人と若者の間にある深い溝の存在だった。
主人公の大楠夫婦は「猫を膝にのせて縁側に座っていた時代」なら老人と言われても不思議はないけれど、令和の時代は老人の部類に入らない。しかもモトクロスを楽しむ夫婦である。
ところが小説の中でこの夫婦は、モトクロスで転倒事故を起こしてから自信を無くしたのか、急激に老人になってしまった。
そして、青年は大楠夫婦の前では、気の付くいい青年に見えるが「陰では「ジジイ」「ババア」とよんでいる。
その青年にいつの間にか依存をしていく大楠夫婦。
若者は競争社会から逸れて、日銭を稼ぎなが「ザ、若者」の生活をしている。
この青年は「人を殴る瞬間が好きだった」と性格は説明されている。
大楠夫婦と青年は週に一日、数時間の接点を持つようになる。
小さな接点のはずがいつの間にか太く育っていった。
が、そう思っているのは大楠夫人だけ
彼女は段々青年を可愛く思う。けれど青年は「手軽に稼げる相手」以外の感情は全くない。

青年が育つ環境にこの大楠夫婦のような落ち着いた家庭環境は無かったようだ。
だからと言って大楠夫婦に気に入られるつもりはなく、自分のしたい事の為には自己中心が優先して、嘘も平気。
覚めた感情の青年と、依存度が増すばかりの大楠夫婦。

私はこの本を読みながら、私たち夫婦もは若い人に「ジジイ」「ババア」と呼ばれているのだろうかと思って暗澹とした。
自分が高齢者であることを悪い事のように思う必要はさらさらないけれど、そういうことを言ってると「可愛いおばあちゃん」にはなれないらしい。
小説の冒頭に主人公の大楠夫人はお隣の若夫婦をカーテンの陰から見ている。
モトクロスで出掛ける自分達を観る目に尖ったものを感じるらしい。
自分たち「高齢者らしくない行動をしている」と見ている自分がいるから相手の視線を尖って感じるのではないだろうか。
とか、いちいち突っ込みながら一晩振り回された本だった。
心理描写は面白かった。

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