すぐ死ぬんだから ‐ 内館 牧子

流転の海」を読んだ後の虚脱感が現実に引き戻された。
抱腹絶倒とはこの事だろう。
書店をウロウロしていたら「すぐ死ぬんだから」という本のタイトルが目に入った。
「あれ、私と同じ事を言う人がいるんだ」と思って手に取った。
この本では「すぐ死ぬからどうでもいいの」何事にも意欲を失った女友達を例えにとって、自分はそうはならじとますます張り切る78才の忍ハナが主人公。

そうか、「すぐ死ぬんだから」はマイナスイメージの言葉なんだ。
私は、残り時間を目いっぱい過ごしたいという意味で「すぐ死ぬんだから」と言っていた。

どちらの意味にしても70才を過ぎると「両親を見送った年齢に近づく」という友人も沢山いる。
私には10年もないのだと思うと、どう生きるかと真剣に考える時期に差し掛かっている事は事実だ。
そうは言うものの、我が家は長生きリスクを抱えている。そちらの方が現実的。
母は、百歳を目の前にしてだったし長姉と姉母はともに96才と93才で私の側にいる。
なので10年以内とは想像しにくいけれど。

この本の書き出しに
年を取れば、誰だって退化する。
鈍くなる。。
緩くなる。
くどくなる。
愚痴になる。
淋しがる。
同情を引きたがる。
ケチになる。
どうせ「すぐ死ぬんだから」となる。
そのくせ、「好奇心が強くて、生涯現役だ」と言いたがる。
身なりにかまわなくなる。
なのに「若い」と言われたがる。
孫自慢、病気自慢、元気自慢。
これが世の爺さん、婆さんのの現実だ。

幾つかは思い当たりうなづく。
だったらその真逆を行こうじゃないのと言えば「生涯現役だ」と言いたがる婆さんに近い。

ハナは「人は中身よりまず外見を磨かねば」と考える。
その反対は「ナチュラル」それを不精の言い訳にしていると一刀両断に切り捨てる。
というと聞こえは悪いが、微妙なお年頃の70才代をこれほど的確に描き出されると、「はい、その通り」と肯くしかないのだ。

まだまだクリスマスは大好き。

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