時の流れと今を考える

若い頃、一日の時間割にはどうしても外せない家事の時間があった。その家事を手早く済ませて自由時間を手に入れたいと、いつも焦っていた。今では時間は欲しいだけ自由に使える。しかし、時間の使い方は相変わらず下手で、気が付けば一日が終わっているのに、何かを成し遂げたという実感がない。平凡な一日が過ぎただけ。

そんな日々が一番幸せだとも思う。しかし、どこかスパイスが足りないとも感じている。
私の時間は消えていくばかりで、後ろを振り返っても何も残っていない。浪費した時間の残骸を残しただけだ。
「何を残したいのか」と問われても、何も思いつかないのが歯がゆい。

「終わった人」になることを恐れているのかも知れない。
80才の峠を目前にして、帆を上げて進んだ頃の迷いのなかった頃を突然思い出した。
気が付けば、それは半世紀も前の話になっていた。
「四十九年 一睡の夢 一期の栄華 一盃の酒」上杉謙信が残した言葉だけれど、この頃良く分かる。
この年謙信は49才だった。

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