奈良の旅 – 法隆寺を深掘る
日本人なら聖徳太子を知らない人はいないだろう。
ところが私ときたら、その知識は受験用のもので受験が終われば瞬く間に忘れ去った。
聖徳太子、曽我入鹿、推古天皇、中大兄皇子等の名前が断片的に出て来るけれどさて、どんな関係だったかしらね。
それらを整理するには現地に行くのが一番いい。
ボランティアガイドに申し込めば、現地で教えてもらえるもの。
受験生の時に来てたら、さぞかしいい成績だったろう。
たった20年前の事だから(大笑)
ガイドさんは、写真ポイントまでご指導くださる。
今回は受験に関係ないので法隆寺の五重塔や金堂、夢殿の建物の話を聞きながら聖徳太子の噂話に花を咲かせた。
聖徳太子には4人の妻と14人の子供がいた。
推古天皇の皇太子だった聖徳太子は、天皇の政治を助ける「摂政」という立場で活躍し、蘇我馬子と組んで仏教を広めた。
身分に関係なく、能力があれば出世させる「冠位十二階」や、役人の心がまえを示した「十七条の憲法」を作り又遣隋使の派遣もした。
特技は人の話を聞くこと。
一度に10人の話が聞けたと逸話が残っている。
令和の時代にいてくれたらと思う政治家だ。
ところが、伯母の推古天皇は聖徳太子よりも長生きしたので天皇になれなかった。
こんな話は教科書にはなかったな。(と、思う・・自信なし)
聖徳太子は605年に飛鳥から斑鳩に都を移して、斑鳩宮と斑鳩寺(後の法隆寺)を建設した。
しかし643年には長男の山背大兄王子が蘇我氏との政争に破れ一族は全滅してしまう。
聖徳太子の子孫は誰一人残っていないと言う残念な結末を聴きながら夢殿に移動した。
夢殿の「救世観音菩薩」や「玉虫の厨子」は見落としてはならない。
玉虫はガイドさんに懐中電灯でかすかに残る箇所を照らしてもらえたので確認できた。
個人で回ったら、暗くて何も見えない。もしかしたらそこにある事すら分からなかったかもしれない。
最近はボランティアガイドさんがどこの観光地にもおられるので、必ずお願いすることにしている。
救世観音を見ているうちに、疑問が湧いた。
観音様は女性と思っていたけれど、どう見ても女性には見えないお姿だった。
お聞きすると「菩薩さまは男性です」とガイドさんは思いがけない説明してくれた。
「インドを出る時は全員男性でした吉祥天だけは女性です」聞き違いでなければそう説明された。
帰ってからネット検索すると男性でも女性でも中性でもなく性を超越した存在だとのように書いてあるものが多い。
如来には釈迦如来、阿弥陀如来、大日如来、薬師如来でそれぞれが「浄土」という国をもっている。
人々を苦しみから救うために存在している。
如来と菩薩の見分け方は。如来は螺髪(パンチパーマ)であるかどうか。
次に手には何を持っているかで如来の区別が出来る。如来の脇を固めるのが菩薩である。
お顔は飛鳥時代は面長。奈良時代はふっくらで造られた時代の区別がつく。
それらに注目しながら仏像を見て時代を当てていくと、あっという間に2時間が過ぎた。
続きは次回のお楽しみでガイドさんとお別れしたけれど、如来や菩薩の事がうっすら分かると今まで興味のなかった仏像の世界が少し身近になった。
「百聞は一見に如かず」
コメント
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楽しく拝見させてまらいました 一部クッスといたしました!
私も勿論知らないことだらけで~~
ガイドさんと一緒に巡るって 一番の近道で見習いたいです
何倍も心と頭の中に入ってきそう・・
本間さん、コメントをありがとうございます。
受験に関係ない社会見学は楽しいものです。知らないことだらけ。
まだまだ、次なる興味の坩堝を探しますわ。