いじめと国語
いじめの自殺が連鎖している。
明日は自殺予告の11日に当たり、小学校が緊張している。
中には愉快犯もいるかもしれないが、そう思うと真剣な悩みであったりするから予測で判断はしにくい。
昨日テレビで漢字が読めない若者の再教育をする番組を見た。
企業が独自で教育をしなければ、会社の損失につながる事態が起きているらしい。
ゆとり教育の生んだ弊害という意見も当たってなくはない。
漢字や言葉を省略する若者言葉の氾濫に私はついていけない。
まずは、英語教育だーといわれていたことが、ようやく国語教育だーに気づいた。
言葉を介して友達を作った時代からメールの送信にかわったことで、言葉の温もりがなくなったように思う。
メールを打ち続けないと孤独感を感じてしまうのか一日に3時間くらいはメールに費やしているとか。
忙しく指を動かしながら精神的に「時間」はどう捕らえられているのだろうか。
窃盗犯を捕まえてみれば警察官だったり、性犯罪者が教育者であったり職業にプライドを無くした大人の姿も嘆かわしい。
私の子供の時代にはテレビはなく「ラジオ名作の時間」で朗読を聞いたり「ラジオドラマ」に聞き入った。
擬音で足音や雨の音や衣擦れを聞いて想像したものだった。
「24の瞳」の映画を久々に見たくなった。
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