剪定のひと枝に映る時の流れ

クレマチスの剪定を始めた。今年も夏の陽が容赦なく照りつけ、ひと種類ごとに枝を整えるだけで、ひと息つかずにはいられない。ふと気づくと、剪定した枝の山をそのままごみ収集に出してしまい、差し芽をしようと思っていたことを思い出した時は、すでに遅しであった。

夕方の涼風を待って庭に出ると、西日の中で、まだ花を残した枝が目に留まる。少し傷んだ花もあるが、枝先にひっそり咲くその姿は、切り取るには惜しい美しさがあった。だが、このままでは大雨に傷んでしまうのは目に見えている。思わず、ひと枝手に取り、しばらく眺めた。


剪定も差し芽も、かつては難なくこなしていた。それが今は、一つの作業を終えるたびに小さな区切りを必要とする。年齢のせいかもしれない。しかし、それを不幸や衰えとは感じない。むしろ、時の流れの中で自然に変わっていく自分を、もう一人の自分がどこか興味深く見つめている。

クレマチスの枝を整えながら、この小さな変化も、きっと時の流れがもたらしたものなのだろうと、ぼんやり思っただけである。

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