京都・聖護院「西尾八ッ橋の里」ー蕎麦より建物に驚いた

京都、岡崎へ出かけたついでに、姪が勧める蕎麦屋へ寄ってみることにした。
控えめな性格の彼女が、珍しく熱心にすすめるので少々気になったのだ。暑さもあり「ざる蕎麦も悪くないか」と思い立ち、岡崎からほど近い聖護院町へ足を伸ばした。
そして、店の入り口に立った瞬間、私は思わず「おっ」と声が出た。そこにあったのは、私が好んで見て回るような、趣ある古い邸宅だったのだ。
店の名は「西尾八ッ橋の里」。2014年にオープンしたという。場所は京大病院の東側、東大路通と春日北通りの交差点から少し東に入ったところ。周辺はまさに「八ッ橋の聖地」とでも呼ぶべき一帯で、通りを歩けばどこを見ても「聖護院八ッ橋」の看板ばかりが並ぶ、八つ橋発祥の地であった。
「八つ橋発祥の地」と看板を上げた隣のビルがいささか無粋で景観にそぐわないが、八つ橋の店舗は京町家の佇まいを残しており、まるで時間が巻き戻されたような感覚に包まれる。
「西尾八ッ橋の里」は、その中でもひときわ目を引く建物だった。門の先には落ち着いた庭が広がり、玄関に足を踏み入れると、天井の高い靴脱ぎ場が迎えてくれる。それには、かつて長崎で訪れた「元祖茶碗むし 吉宗(よっそう)」の記憶がふと蘇った。あの時は下足番の男性が半纏姿で出迎えてくれたものだ。
この店にはそうした出迎えこそなかったが、広々とした玄関には京の蒸し暑さを忘れさせる涼やかさがあった。



玄関を上がった先の座敷には、祇園祭の長刀鉾が飾られていて、雰囲気はまさに「京都そのもの」。案内された座敷の広さにも驚いた。

ガラス戸の向こうには、百日紅の花が枝いっぱいに咲き広がり、やわらかな紅色が庭をふんわりと包んでいた。樹齢百五十年を超える椋の大木や、新たに本家西尾八ッ橋が八ッ橋の由来として再現した「かきつばたの池」には水が流れ込み、涼やかな音が聞こえるようであった。
座敷は鍵型に続いており、ゆったり配置されたテーブルはどれも満席だったが、不思議と隣が気になるような近さではない。プライベート感があり、落ち着いて過ごせる空間だった。

こんなに間近で、これほど贅沢な建築をじっくり堪能できるとは思ってもみなかった。
この建物は、大正8年(1919年)、東洋レーヨンなどの要職を務めた河原林堅一郎氏によって建てられた邸宅である。数寄屋風書院造りという格式あるスタイルで、その後は東芝の役員専用保養所として使われ、その後本家・西尾八ッ橋の手に渡った。
2012年には、「京都市民が選ぶ京都の財産として残したい建物・庭園」にも選ばれている。
座敷でゆったりと過ごしながら、ふと縁側に目を向けると、見たことのない木材が使われていた。調べてみると、この建物には国産の栂(ツガ)が多く使われているとのこと。木の種類まで識別できるほどの目利きではないが、次回はそのあたりにも注目して、じっくり見学したいと思っている。
さて、肝心のお蕎麦の話はまた明日に。
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