時をめくる、姉母の五年祭

今年は、姉母の五年祭の年にあたる。
祭事の準備について神社に問い合わせたところ、「霊璽と写真をご持参ください」とのことであった。
この「写真」が、実は我が家にとって最も難題なのである。
私は日頃から人物写真をあまり撮らない。特に姉の晩年は、意識的に写真に収めることを避けていた。
脳梗塞を患ってからは、姉自身も鏡を見るのを好まず、顔の変化に触れられるのを望まなかったように思う。
そのため葬儀の際には、似顔絵を飾った。そして、常には若々しくふっくらとした20代の頃の写真を我が家では飾っている。
神社からは「無ければ無理に持ってこなくてもよろしい」と言われていたため、そのまま写真の件はなかったことにしようと思っていた矢先、思いがけず連絡が入った。
姉の墓を守ってくれている別府の本家から、「家族としての記憶のためにも、ぜひ写真を持ってきてほしい」とのこと。
その一言で、家の中は大騒ぎとなった。
パソコンの中をあちこち探すも、姉の面影をそのまま残しておけるような写真は見つからず、私の血圧は上がる一方である。
古いアルバムを開けば、出てくるのは姪と私の幼い頃の写真ばかり。写真をめくるごとに、「あの頃はこうだったね」「こんなことがあったね」と、思い出話に花が咲く。
その様子を傍らで聞いていた娘は、話が次々と横道に逸れていく様子に呆れ気味であったが、やがて自分のパソコンを開いてくれた。
そして、「これなら元気そうで良いのでは」と、今の私たちの気持ちにぴったり寄り添う一枚を探してくれた。
「五年経っても、姉は手がかかるわねえ」
そんな冗談を交わしながらの写真探しは、いつの間にか私たちを70年の時の彼方へと連れて行ってくれたのであった。
こうして一枚の写真をめぐる一夜の騒動は、五年という月日を越えて、私たち家族にもう一度「姉母」という存在を思い出させてくれた。
たとえ写真がなくとも、記憶は胸の奥に確かにある。けれど、こうして形となって残った一枚が、ふとした時に語りかけてくれる言葉もあるのだと、今さらながら気づかされる。
五年祭。
姉母に、ようやく一枚の写真を手向けることができそうである。
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