終戦記念日

京都五条通の温度計が38度を示していた。
先週の暑さを軽く越えてしまった。
大津まで帰ると31度の表示だけれど、この表示は正しいのかどちらかが間違っているのか分からないほど、どちらにしても暑い日です。
この季節、姉母は「暑い!」といいながらも私から見ると活き活きと過ごしている。
昨日今日はちょっとご機嫌伺いに顔を出すと、話は昭和20年終戦前後の大分市の様子、当時の両親の事を昨日の事のように話し出します。
この頃の話は私も見ていたかのように覚えている話なんだけれど、ひとしきりは知らぬふりで聞くことにしています。
8月15日の放送はさっぱり聞き取れなかったそうですが祖母が24日に亡くなったという事と葬儀らしい葬儀は出来なかったけれどお経の最中にB29が編隊を組んで上空に現れ、お坊さんが真っ先に防空壕に逃げ込んだと言うくだりで私はいつも「待った」をかけます。
終戦の後にB29が来たの?
うん、来たよ。
正しくは分からないのですが姉母は間違いないといいきります。
当時の我が家は姉母が一番のしっかり物で家族中に頼りにされていたようで、焼夷弾で隣家が燃える時は一番に消火に駆けつけてお陰で家は燃え残ったのよ。
で結ばれる終戦の頃の話を今日も姉母孝行に聞いてきました。
コメント
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ここ数年前から 8月15日夜に放送される 「日本のこれから」 夕べも見た。ついに憲法9条が堂々とまな板に乗せられるときがきたのだ。と複雑。
中で 「警察は国民を守り、軍隊は国を守る。だから 軍隊は必要だ」というくだりがあった。
あまり テレビにコメントしない夫が「一番に国民を捨てて逃げたのは軍隊だ」 中国で目にした終戦の様子 ほとんど口に出さない夫の一言だけに ずしんときた。
sazankaさん
昨夜のNHKかなり白熱していましたね。
残念ながら10時からの放送がきちんと見られませんでした。
確かに関東軍の逃げ足ははやかったですね。
その後の民間人の引き上げの悲惨さは「流れる星は生きている」等に詳しく書かれています。
NHKのテレビカメラの前で持論を堂々と言える人が増えてきた事は頼もしく感じています。