ジョン・マン-山本一力著

去年の暮れに四国の足摺岬近くに在る「ジョン万次郎資料館」を訪問して、すっかり万次郎の魅力にはまった。
正月の愉しみに文庫本になっている5冊を友人に借りて読み始めた。
1冊は2、3日もあれば読んでしまうので、ケチケチ読もうと思ったけれど読み始めると止まらなくなった。
6巻7巻は未だ文庫になってないので図書館で借りて昨日読了した。
7巻までしかないけれど、資料館にある年表を見るとそれから先は未だ5巻あっても足りない物語になりそうで、続巻が待ち遠しい。

資料館に行くまではジョンマンは幕末に活躍した人くらいの知識しかなかったけれど、資料館を出る時にはすっかり万次郎ファンになっていた。
資料館でどんな写真を写しているのかと思えばほとんど写してなかった
沢山の資料を追うのに精いっぱいだった。

万次郎(後に救助した船の名前からジョン・マンと呼ばれた)を救助したホイットフィールド船長はマサチューセッツ州フェアヘーブンに連れて帰り、共に暮らし、学校に通わせた。
アメリカと言えば人種差別があり、奴隷制度を思い浮かべるけれど、人々に尊敬されている船長に育てられているジョン・マンにはアメリカの人達は優しく接してくれた。
フェアヘーブン時代のジョン・マンは恵まれた環境の中で沢山の友人と知識を得て成長期を過ごす。
この辺りは活気があっていつの間にかジョンマンの生活を俯瞰して見ているような錯覚をした。
日本は江戸時代、水野忠邦が天保の改革を行った頃である。
アメリカの生活はバターやチーズ、卵やコーヒーにピザまである生活。
石畳の道を馬車が走りクジラの油で明かりを取っていた。
ジョン・マンを育てた町や周りの大人のふるまいは山本一力が作った世界と分かりつつ、没頭して読み進んだ。
7巻までには書かれてないけれど、帰国後はペリー来航の折には通訳をしている。
ジョン・マンがいたからこそ開港は進んだのではないか。
ジョン・マンは近代日本を中心的に動かした後藤象二郎、岩崎弥太郎に直接指導をしている。
また、造船、航海、測量、捕鯨の指導のため、国中を東奔西走した。通訳として乗り込んだ「咸臨丸」の館長は勝海舟。福沢諭吉もこの頃の知り合いだ。
日本の夜明けの立役者としての資格がジョン・マンには十分にある。
その割には私の記憶は薄かった。と言うかテストには出ない名前だったのか。

8巻は発売日未定とされている。
7巻の発売から5年が経過しているだけにファンの我慢もそろそろ限界にきていると察している。
今から図書館に予約をしておこう。
久しぶりに読書の愉しみを存分に味わった。

大震災で落ち込んでいる時でも、腹の底から力が湧いてくる本だった。

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