電車に乗って

久しぶりに電車に乗って豊中の友人宅まで出掛けた。

電車の中で本を読むのは久しぶり。
もう少し遠くまで乗っていたかった。

「チキンライスと旅の空 池波正太郎」 
鬼平犯科帳のファンだと言う友人が池波の本の面白さを語っていたのを思い出して、正月用に買ったものだ。
軽妙な筆致で書かれた本は、読みやすく往復の時間で半分ほどを読んだ。
本の中に池波の生まれた日の事が何度も出て来る。
池波は関東大震災のあった年、大正12年1月25日浅草で生まれた。
大雪の日で父は仕事を休み炬燵に潜って酒を飲んでいた。
池波が生まれた時に産婆が「男の子さんが生まれましたよ」と2階に駆け登って叫んだ。すると父は「寒いから明日見ます」と顔いろも変えずに言った。
池波はそういう父が好きだそうだ。自分もそう言う性格があるのでと書かれていた。
何度も出て来るその場面に私も自分の生まれた日を重ねて車窓を眺めていた。

私は自分の誕生日の正確な日付を知らない。
長姉が[12月16日」と言ったのでそう覚えていた。
晩年に長姉が「誕生日は何時だった?15日だった?」と聞いて来たので慌てたものだ。
長姉以外に私の誕生日を意識してくれた人はいないのだから。
16日と教えてもらったのはいくつの時か覚えていないがそう言うことを理解して覚えているとなると学齢になっていたものと思う。
薄い記憶ではあるけれど、母にも確かめた。
多分母は、「あまり覚えていない」ような返事だった。
男子を待ち望んでいた父は私が生まれて1週間も見ようとはしなかった。と言うのは母に何度も聴かされた。
だんだん元気がなくなって、もしかしたら死ぬかもしれないとなった時に父は初めて私に会ったそうだ。
名前もなく母の妹が私の名付け親とも聞いている。
父は生まれて直ぐに2歳になるのは可哀そうだと言って出生届の時に生年月日を1月1日とした。
今となっては正確な生年月日が不明な事を残念とは思うけれど、正月の生まれにしてくれたのは父が私に示した最初の愛情表現だったと思う事で救われている。

男子の誕生を熱望していた両親にどうやら私の誕生は期待外れの何物でもなかったのかと思い始めたのは最近だ。
「あらら、私は可哀そう」そうゆう事には、鈍感に育った。
両親も姉たちも鬼籍に見送ってから、急にこだわり始めた。
それまで気にも留めなかったのは育つ過程の節々で誕生日を祝ってもらっていたからだ。
最近の我が家では毎年12月16日から1月1日の間を私の誕生日のアドベント期間としている。

そんな事を考えながら電車に揺られて本を読んだ。

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