賞の柩 ‐ 帚木 蓬生

スウェーデン カルマルにて

3月にしては異例な大雪が北海道や東日本に降り積もり、大津市も朝から降ったり照ったりとめまぐるしい天気でした。
春分の日は今までもあまり良い天気ではないけれど、これほど荒れたのも記憶にない。
来週は比良八荒、これが終われば湖国は春になる。
今日が本当に終雪であればいいけれど。

「賞の柩」はノーベル賞をめぐる物語である。
この本を読んでいる時に小保方さんの論文疑惑が起こり、余計に興味深く読んだ。
イギリスの科学者アーサー・ヒル氏が医学、生理学部門でノーベル賞を単独受賞した事に端を発する。
話の推移はノーベル賞、単独受賞に疑惑を感じた日本人津田がスペイン、イギリスと旅をしながらアーサー・ヒルを追い込んでいくという単純な話ではあるけれど、帚木さんも旅がお好きと見えてフランスからスペインに車で旅をする辺りになると風景描写が俄然面白い。
アーサー・ヒルの秘密を暴くことよりも、科学者の過酷な競争の方に興味を惹かれる本だった。
例えば、「ノーベル賞はいくら素晴らしい業績をあげても、同じ分野で4人以上の人間が横一線にならんでいると、その分野は対象から外され、受賞は3人以内と決まっている」とは初耳。
アーサー・ヒルの受賞理由は、35年間にわたる、筋肉の収縮機構に関する数多くの業績だった。
しかし津田が知る限り、彼の恩師清原修平をはじめとして筋肉生理学者の名前はいもづる式に出てくる。
ところが、その学者たちはこの4、5年発表論文がゼロになっている。
まだ60歳に達してないのに実験をしなくなる学者は、日本なら例に事欠かない。
30代で優れた仕事をし、40代で教授になり、50代で大御所に祭り上げられて現場から手を退く。

しかし、欧米では大学者でも管理職に格上げされたことを理由に研究を断念することありえない。
学者は役者同様、命のある限り舞台に立つのを本望としている輩だ。そこは「書くか消えるか」の戦場であり、論文を書かなければ助成金はおりず、研究という戦いのリングから去りゆくしかない。
科学者が論文発表に神経をすり減らす様が、実によくかけている。
そして、この本では大御所のアーサー・ヒルの後を追うように実験をしていた学者が、ある日この実験に疑問を感じ、世界中の人間が当然として受け止めている事柄のひとつだけに死角があることを発見した。
それが、指導教官のいない若い学者の悲運の始まりとなる。
学者の世界は門外漢だけれど、この本を読むと学者は世界競争の中で神経をすり減らす過酷な仕事のようだ。
小保方さんの論文の行方を見守る中、彼女のストレスを思うと痛ましい。
ついつい、小保方さんと重ねて読んでしまった。

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