医者を見分ける

憩う

私の独断では、高齢者ほど医師にお医者様という意識が強く遠慮の川は深い。
また、高齢の医師ほどインホームドコンセントの出来ない傾向にある。
高齢者でなくても患者と、まともに挨拶が出来ない医者の腕前は押して知るべし。
8年ほど前(?)のワールドサッカーの時の事、
私は「日本中どこでも行けます」という航空券をgetして一人で九州へ里帰りをしていた。友達とわいわいはしゃぎながらもサッカーの結果が気になり、出先から家に電話を繰り返しかけた。
それは、単にサッカーが気になるのか、虫の知らせか分からないが。
初めの頃は連れ合いが電話で説明をしてくれていたが、何度目かには娘が「大変だ-」と電話に出た。さっきまで電話で話していた連れ合いが転げ回って苦しんでいるらしい。
病院嫌いな人で何とか直そうともがいていたらしいが、救急車を呼ぶというと、渋々長男の運転で病院に行った。
翌日、病院に行くと、連れ合いは、痛みの原因がはっきり分からず、痛みはきつくはないがとれていないという。
病院のカーテンはクリーム色で顔色が分かりにくいが、見なれた私が観ると黄色いように感じた。
「胆石じゃないの?」といっても医師の方からは胃潰瘍ではないかとしか聞いてない。
早速主治医の所へ行き、インホームドコンセントをお願いした。
この瞬間、「こりゃだめだ」と確信した。
まず、挨拶をしない。質問をうるさがる。診断をくださない。その後その医師とは度々口論になるが連れ合いは回復しない。
入院から5日目に病院の内科医長の回診があった。回診時には勿論主治医が同行している。
私は「胆石」の可能性を訴えた。今のようにPCで検索出来る環境になかったので、図書館に通い手当りしだいに本を読んで「胆石」を確信し、主治医にはエコーを依頼していた。「エコーの順番はひと月さきになる。退院して出直すように」といわれて、喧嘩状態である。
医長は翌日エコーをし、親指大の胆石が見つかった。もう少し遅れていれば、癒着がひどく生命に関わったかも知れない。
1週間内科で体調を整え外科に移り開腹手術になり、治癒までひと月を要した。
この経緯から医者にかかる時は、インホームドコンセントをきちんとできるかどうかで判断基準にしている。
今日は、先日高熱を出した姉母の症状をpcで検索すると、内科の領域ではないようなので泌尿器科で検査を受けた。
初めに受診した内科医は医師会の会長をつとめる医者で患者が溢れていたが、血圧を計ると、姉母の血圧は上がるほど高姿勢である。
素人に説明するのは時間の無駄と考えているように見受けた。
今回も「こりゃだめだ」と転院して大正解であった。
インホームドコンセントのレベル判断はやはり正しかった。
先生様と大層に遠慮する年令の人に医者を変える理由の説明も骨が折れる。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • follow us in feedly

関連記事

コメント

  1. skogさん、ハローです。
    そういうことって、普通にあるんですね~
    幸いにもあまり病院に縁がないので、ちょっとビックリです。
    やはり「先生」と呼ばれる職業は当たり外れが大きいのでしょうか。

    • skog
    • 2005年 8月 18日

    hoddy さん こんにちわ
    医者選びが本になる時代ですからねえ。
    また、高齢者と医者の間には通訳がいりますよ。
    易しい言葉で分かりやすく説明することも大事ですよね。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

skogBLOG内の記事検索

カテゴリー

過去の記事

生活・文化の情報収集

ブログランキングで生活・文化関連の情報を収集できます!
ページ上部へ戻る