シリヤラインの想い出

出港準備

先ほど、宮城県で叉大きな地震が起きた。
震度6以上の地震が北に南に日本列島を揺り動ごかす。
戦後60年、日航機事故から20年
平和は?安全は?一日中特番が流されていたが地震の前には無力である。
災害にあわれた方は大変でしたねえ。お見舞い申し上げます。
先日のヘルシンキマラソンを観ていたら、フィンランドとスゥエーデンを結ぶ客船、シリヤラインが写っていた。
この船が10年前に事故で沈んだ日は忘れられない。
その日私はノルゥエーのベルゲンにいた。
SAS のストでその日ベルゲンからコペンハーゲンにいく予定がたたず、途方にくれていた。
取りあえず、オスロ迄行って次の飛行機を探すしかないと、回らない頭を無理に回転させていた。
ベルゲン駅に引き返し、電車で移動するしかないと思いはじめた時、初めの頃のブログに書いたけど「地獄に仏?」か「旅は道ずれ」か空港に私達以外に一人の日本人ビジネスマンの姿があった。
結果的にはそのSさんのお陰で、オスロまでをタクシーでオスロからスエーデン経由デンマークまでをハーツレンタカーで走り抜けた。
ノルウエーとスウェーデンの国境にさしかかると、両国旗が半旗になっていた。直ぐにカーラジオを入れると「シリヤラインが事故を起こし多数の死亡者が出ている」というニュースが流れていた。デンマーク在住のSさんは、びっくりして色々説明してくれた。SASのストで動転している頭と、200km 近い高速で走り続けている車の中では何も考えられなかった。
両国の国境は物々しさはなにもない。パスポートを出した記憶もなく通過した。
それでも夕暮れの風に揺れる半旗は、旅先のもの哀しさといっしょになって、目に焼き付いていた。
世界中に影響があるクルージング船の事と知ったのは日本に帰ってからの事だった。
去年の夏、ヘルシンキからストックホルムまで、その船に乗った。
動く白亜のホテルである。
事故から10年目に乗船して、当時は自分の事で精一杯だった事などを思い出した。
久しぶりにテレビでみたシリヤラインは、静かにその美しい船体を岸に寄せていた。
夕方、5時には大勢のお客を載せて出港していく姿が目に浮かんだ。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • follow us in feedly

関連記事

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

skogBLOG内の記事検索

カテゴリー

過去の記事

生活・文化の情報収集

ブログランキングで生活・文化関連の情報を収集できます!
ページ上部へ戻る