鴨居 羊子と鴨居 玲

鴨居 玲 (1982年 私)

昔、私が油絵を描いていた頃、一目で惹きつけられた絵が鴨居 玲の「1982年 私」だった。

中々絵を描き始められない鴨居は、白いカンバスの前に座り込み、その周りに集まった過去のモデルたちが心配している絵である。
私も人並みに取り掛かるまでは時間がかかる方で、白いカンバスを眺めてため息をついていた。
それは、名画伯にも素人にも共通するものだったのだろうか。

その時に、記憶の奥にあった鴨居 羊子という下着デザイナーの名前を思い出した。
その後、二人は姉と弟という事が分かった。
何と激しい個性を持った姉弟だったのかと興味を覚えた。

先日枚方のT-siteに行ったとき「私は騾馬に乗って下着を売りにゆきたい」という文庫本が目に入った。
パラパラと読むと、鴨居 羊子が下着デザイナーになったきっかけを書いているようだなと思って読み始めた。
1973年に上梓された本なので、44年も前に書かれたにもかかわらず、今読んでも少しも古くない。
起業しようとする人にはとても読みごたえがありそうだ。
私も10年前に読むべきだったかと。

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今、NHKでファミリアの創業者の物語が「べっぴんさん」として放映されているが、鴨居も全く同じ時期に創業している。

下着は白のメリヤスを当たり前とした時代に、カラフルなスリップやセクシーなガーターベルトがどのようにして受け入れられたのか。
彼女は下着を通じて女性の解放運動を進めようとしていた。

「べっぴんさん」でも語られていたけれど鴨居も、東京のデパートでチュニックという鴨居ブランドのタグを外すように言われた時は、それを断ってその後、そのデパートとの交渉には一切応じてないと綴られていた。

鴨居は大阪読売新聞の学芸課記者という経歴があるので、文章の巧みさについつい読み耽る。

当時は未だ作家となっていなかった、山崎豊子や開高健、司馬遼太郎、作家の今東光等の交友があり、彼らは大いに力になってくれたらしい。

材料費の支払いと製品を販売したお金の回収の間にタイムラグがある。
それも分からないまま、がむしゃらに一人企業をしていたらしい。
ハタと困っていると、山崎豊子が「貸してあげるわよ」と言って、1万円を財布からさらりと出してくれることもあったそうだ。

宇野千代は大輪の花のように美しく、ふわっとした雰囲気の女性で沢山買い物をしてくれたらしい。
きら星のような作家さん達の青春時代を垣間見るような話も楽しめる。

鴨居は気が強く、負けん気が強いような印象を受けるけれど、悔し涙、うれし涙にくれながら30代の鴨居は踏ん張って生きていた。

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66才で逝かれてしまったけれど、ご存命なら姉母と同い年のはず。

昨今の下着のカラフルさは昭和30年代に鴨居が提案したものかもしれないけれど、戦後女性と靴下は強くなったと言われる時代を経て、昨今の下着についてはどんな感想をお持ちだろうかとお聞きしたいものだ。

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