笑いとため息と、しがらくごの午後

二ヶ月ぶりに足を運んだ「第47回しがらくご」。
外には晩秋の冷たい空気が漂う。そんな中、いつものスカイプラザ7階へ向かった。
受付には変わらぬ四人の出演者が揃い、いつものように笑顔で迎えてくれた。
ふと見ると、紅雀さんがすでに着物姿で準備を整えていた。
「もしかして前座で登場か」と少し驚きつつ、今日は2列目へ席を取ることにした。
最前列はすでに埋まりはじめており、客の入りの良さにまずはほっと胸をなでおろす。
お囃子が鳴り、いよいよ開演。
その前座として現れたのは、やはり紅雀さんであった。
落語に入る前に、3月から木戸銭を値上げしたいという大事なお知らせがあり、そのための登場だったようである。
物価高の折とはいえ、これまで1800円だった木戸銭が500円上がり、我が家では1回あたり1000円の負担増になる。
「しがらくご」だけならまだしも、玉子に米にと、生活のあれこれが値上げ続きの今日この頃である。
年金暮らしとしては、ため息のひとつもこぼれそうになるのが正直なところである。
今日の演目は「湯屋番」。
勘当された若旦那が湯屋で働くことになり、番台で繰り広げる妄想劇をユーモラスに描いた噺である。
紅雀さんは登場人物ごとに声色も話しぶりも自在に変え、表情まで巧みに使い分けて見せる。
番台で妄想する若旦那の浮かれようも、熊五郎やその女房の言い回しも、まるで何人もそこにいるかのようで、
聴いているこちらも次第に物語に誘われてしまう。妄想が過ぎて下足番を忘れ、履物が足らなくなると「順々にはかせて、一番しまいは裸足で帰します」
というオチに至るまで、紅雀さんの話芸は実に軽やかで、会場全体が笑いに包まれた。
その一方で、紅雀さんの高座があまりにも印象的なためか、続く三人の落語に集中しきれず、
少々申し訳ないような気分にもなる。
話の緩急や間(ま)の取り方、声の温度の違いといった、ほんのわずかな差が聴き手に与える印象は大きいのだと改めて感じる。
上手い落語には、聴き手が心の中で自由に情景を広げられる余白がある。
対して、眠くなる落語は声が大きくても抑揚に乏しく、その声がいつの間にか遠ざかってしまうものだ。
高座と客席がすぐそこにあるこの会場では、居眠りはきっとよく見えるはずである。
できることなら、「誰一人眠らせない」という気迫が伝わってくれば、もっと良い会になるのではないかと思う。
[しがらくご]には、これからもひとつ上のところをめざしてほしい。
少し辛口のことも書いたけれど、どれも応援の気持ちからである。
笑いとため息が交互に訪れるような、あの“しがらくごの午後”が、これからも長く続いていくことを願っている。
次回のお知らせ――次回までは旧料金

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