国際化の時代に感じた小さな違和感

東山通りを五条通へ向けて下っていくと、八坂神社の前を行き交う人の多さに目を見張った。時刻は夕方の四時半を回り、日暮れまで三十分ほどというのに、人波は途切れる気配がない。


とりわけ目についたのは、着物姿の若い男女である。なかには髪をヒジャブで覆いながら振袖をまとう女性の姿もあった。日本人の私にはどこか違和感もあるが、彼女たちはイスラムの教えと日本の伝統衣装を軽やかに折り合わせ、自由に楽しんでいるのだろう。要らぬお節介だと思いつつ、多様化した京都の風景にしばし見とれた。

こうした光景を見るにつけ、日本はもはや「島国」という枠では語りきれなくなったと感じる。季節は四季から二季へ移り変わりつつあり、隣人が外国人であることも珍しくない。来日観光客が想定以上で米価は高騰する始末である。現代の日本は、いわば第二の開国を迎えていると私は感じている。
しかし、人種が入り混じっても、国家どうしは依然として争いを抱えている。世界のどこかで紛争が続き、簡単には終わらないのが現実である。

そんな折、韓国のお土産をいただいた。歯磨き粉やフェイスパック、ハンドクリームなど、韓流らしい洒落た品々に心が躍った。ところがパッケージを眺めていると、どこにも日本語が見当たらない。それを少し寂しく感じた。

もっとも、実際には韓国にも日本語表示は多いらしい。交通機関や観光地でも日本語表記は普通に見られるという。どうやら、私がいただいたお土産にはたまたま日本語表示が無かっただけらしい。それでも、日本語が全く載っていない化粧品のパッケージを手にしたときに、胸の奥が少しチクッとしたのは事実である。
長い付き合いの隣国なのだから、ほんのわずかでも日本語が添えられていたら嬉しい――そんな、勝手ながらの思いが顔を覗かせたのだろう。

一方、日本では観光地に限らず、日本語・英語・韓国語がそろって表示されることが多く、外国語表記はすっかり日常の景色になった。1989年に初めて韓国を訪れたとき、両国の関係は今ほど温かいとは言えなかったが、民間の交流は自然で、旅は楽しいものだった。それ以来、韓国という国にどこか親しみを抱いてきた。

世界では英語が主流となり、日本でも小学校から英語教育が始まり、若い世代はパソコンを覚えるように自然と身につけている。英語さえあれば十分と言ってしまえばそれまでだが、それでも韓国に日本語表示が少しでも残っていてほしいという思いが、私の中にほのかに燻っている。

国際化とは、単に英語を共有する世界を受け入れることではない。他者の文化や言語を尊重し合う姿勢であり、小さな表記ひとつにも、その国が隣国をどう見ているかがにじむ。日本は外国語表示を増やしながら外に扉を開いてきた。
それは理屈というより、近くに暮らす隣国への素朴な情であり、長い年月の中で育まれてきた気持ちなのだと思う。

変わりゆく世界と日本の国際化を見つめながら、たまたま日本語のないお土産のパッケージに感じた小さな寂しさが、今日も心のどこかに残っている。だが、こうしたささやかな思いこそ、国と国との関係をつなぐ細い糸のようなものなのかもしれない。私はそんなことを考えながら、賑わいを増す京都の風景を眺めていた。

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