生徒の避難ーそれぞれの事情2

南三陸町立戸倉小学校、中学校は普段の津波避難訓練が生徒の命を守った。
中学校では、翌日の卒業式の準備をしている時に地震が起きた。
大震災の前々日に仙台で大きな地震が起きて、その日のうちに避難について職員会議が開かれた。
翌日には訓練を行った。
震災はその翌日だった。

避難した裏山は、五十鈴神社の鳥居の前まで津波は襲ってきた。
小学生の小さい子供は祠に入り、高学年の生徒と、避難してきた近隣の住民150名は、おそらく卒業式は出来ないと覚悟をして、卒業式で歌うはずだった歌を一晩中歌ってお互いを励ました。

当時、戸倉小学校校長の麻生川 敦さんの証言⇒

戸倉中学校の校舎は校舎1階の天井まで津波に襲われたが、校舎は津波に耐えた。
しかし、校庭に停めた車に避難した住民は流され、避難の際、高齢のご夫婦を助けようとした先生二人の内お一人とご夫婦は帰らぬ人となった。

校舎には14時46分で止まったままの時計が掛けられて、現在は公民館として震災資料を展示している。

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