生徒の避難ーそれぞれの事情

宮城県石巻市立大川小学校は、震災遺構として残されていた。
児童74人が教諭ら10人と共に死亡または行方不明となった学校である。

避難の途中で津波にのまれた事から、遺族が2014年に宮城県と石巻市を相手取って裁判を起こしている。
最高裁第1小法廷(山口厚裁判長)は2019年10月11日、市と県の上告を退ける決定をした。震災前の学校の防災体制に不備があったとして、市と県に約14億3600万円の支払いを命じた二審・仙台高裁判決が確定した。


                10年たっても献花が続いている。

大川小学校は地域の避難場所になっていたので、校舎を超える津波が来るとは思わなかったという事と、この日、校長は娘さんの卒業式で学校に居なかったという二重の不幸があった。
大川小学校は、海に流れ込む北上川の下流に位置する学校で、道路を隔てて川が流れ、目の前は海である。
川に向かって逃げる子供に津波は川から襲ってきた。
後ろには海からの津波が襲う。
山に逃げた子供もいたと聞く。
三陸地方では「津波起きたら命てんでんこだ」と伝えられている。
これは「津波が起きたら家族が一緒にいなくても気にせず、てんでばらばらに高所に逃げ、まずは自分の命を守れ」という言い伝えである。

先生、生徒の中には「山に逃げよう」と言う発言があった事は裁判の中で明らかになった。
裏山には「シイタケの栽培」場所があり、子供たちも慣れている場所だったというのに、強い地震の為に裏山は崩落の危険があるという判断もあったそうだ。
「命てんでんこ」が生かされていたらと残念だ。

トップ写真は津波前の校舎

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