復旧なき能登 白山の宿で語られた現実

白山白川郷ホワイトロードの入口にある一里野温泉スキー場のペンションに宿泊した。
先月の木曽高原に続き、山に分け入る場所に泊まってみたいと思ったのである。


スキーシーズンには賑わうというが、この日の宿泊客は我々だけであった。少々拍子抜けしたが、支配人から伺った「能登地震」の話は胸に迫るものであった。
震災当時、この一里野のペンションは全室が避難所となったという。高齢の方が多かったが、幸いにもご家族に亡くなられた方がいなかったのは救いであったそうだ。しかし、その後の9月豪雨がさらなる被害をもたらし、「落ち着けば帰れるかもしれない」という避難者の期待を打ち砕いてしまった。
政府からは一日の限られた予算が割り当てられるが、普段の営業とは異なり、毎日三食を提供し続けなければならなかった。洗濯機は一日中回り、従業員は心身ともに疲弊したという。半年間は、まさに宿の従業員自身も被災者同然であった。
私が「復旧が遅すぎるのではないか」と問うと、支配人は「復旧はしないだろう」と答えられた。孤立した数軒のために道路を作り、電気を引く工事は、人手不足と資材不足の中では後回しにされる。地域を集約するよう行政は指導するが、それを受け入れない土地柄もある。若者は仕事を求めて能登を離れ、高齢化と人口減少は進むばかりである。「もしあなたが総理ならできますか」と問われれば、返す言葉に詰まらざるを得なかった。
福井、石川、富山、新潟の町は震災後、復興割引で観光客を誘致できた。しかし能登はそれすらできず、今も厳しい状況にある。現地で直接聴く震災の話は、テレビのコメンテーターの言葉とはまったく違い、心に突き刺さった。ここに書けない大きく深刻な理由も存在するようである。
その夜は、我々だけのためにフランス料理の夕餉が用意された。

能登地震の記憶は次第に風化しつつある。しかし、今回支配人の話を聴き、改めて能登半島のことを思わずにはいられなかった。あの土地には今もなお、日常を取り戻せない人々が暮らしている。
復旧の遅れ、過疎と高齢化、そして繰り返す自然災害。能登は多くの困難を抱えたままである。それでもなお人々は暮らしを守ろうとし、地域を支え続けている。その姿を忘れてはならない。
能登を思い続けることが、私たちにできる小さな支援の第一歩である。忘却こそが最大の風化であるからだ。
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