南十字星 3

バリ人の生活ぶりをビラのマネージャーのボンさんにお聞きした。
バリに行くまでなにかと忙しくバリ島の知識は皆無状態のまま見切り出発。
「地球の歩き方」を持参して夜な夜な勉強をしようと思いましたが、電力事情が悪く夜は眠るしかない事情すら知らなかった。私の泊まったビラ、ビンタはそういうところです。
日本人(滋賀県近江八幡出身)の奥さんがいるボンさんはイントネーションまで関西弁でとても話しやすい。
話のきっかけはボンというのは名字か名前かという質問からでした。
なんと、ボンは彼の出身の村の名前だそうです。彼はファミリーネームはなく日本人でいうところの、第1子から第5子までが一郎、二郎と続き第6子からまた一郎になるそうです。男女とも一番二番という呼び方でよばれ、男女を区別する定冠詞があるようでした。
日本人の感覚では個人の区別がつきにくいと思いましたが、彼らは何の不自由も無さそうです。彼の話の通りとすると、ボン村出身者はみんなボンさんで、長男は一郎となります。それにしてもボン村に帰れば第1子の男はみな同じ名前になるはずなのですが。。
ボンさんの子供さんは日本の名前を別に持っています。
彼は国際結婚者として自分と日本人である奥さんとの関係をうまく作っている。
バリは行事(祭事)が毎日あり、それをこなすのが生活というものらしい。
日本人の奥さんがそれをこなせない事は分かっているので、自分はその分を働き行事にはお金で参加するしかないのですと話しています。
インドネシア語、英語、日本語を話し車の運転とビラのマネージャーをし、ビラの隣に小さなお土産屋さんを経営している。奥さんは仕事はしないそうですから彼がいない時は店は閉まります。奥さんが日本食を作る時、彼は外食をするそうです。インドネシアに無理に慣らそうという気持ちはないようです。突っ込んで聞いていませんが聞く限りではなかなか理解のある夫です。
仕事をシェアするインドネシアでこれだけ一人で働いていいのかと思いますが。それはビラに私達のようなゲストがいるときだけの話で、仕事をひとり何役もこなすと、働けずにいた仲間に収入を分配するするので家計は苦しいとか。
ボンさんはインドネシア人の働き方としては珍しいタイプのようです。
この島はボンさんに限らず、英語と日本語を話す人はたくさんいます。
それは観光で生きる島の生活がうみ出した結果でしょう。必要に迫られるという事は何よりも力をつける事を学びました。この島の失業率はボン統計では20%とか。
日本の住宅街で見かけなくなった子供たちが町に溢れ、暇を持て余した大人が道路に座り込んでいた。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • follow us in feedly

関連記事

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

skogBLOG内の記事検索

カテゴリー

過去の記事

旅行関連の情報収集

ブログランキングで旅行関連のブログをご覧いただけます!

ガーデニングの情報収集

ブログランキングでガーデニング関連の情報を収集できます!
ページ上部へ戻る