能登はやさしや土までも ― 角さんのInstagramに救われて

私はモノにこだわらないと、思われがちだけれど、実はこだわる性格である。
気に入った服は、ほつれれば繕い、色が褪せれば染め替えてでも着続ける。手に馴染んだものを手放すのが、どうにも苦手だ。
そんな私の2015年のBlogに漆の椀を修理していただいた時の記事を見つけた。あれからもう11年が経つ。
その時の椀は、毎日使ってもびくともしない。
塗り直して下さったのは、能登の塗師「角 好司」さん。
「これで今後20年は使えますよ」
そう言ってくださった言葉どおり、本当に丈夫で、美しいままだ。
あの工房の漆の匂い、今でも鮮明に思い出せる。
だからこそ、能登半島地震の報を聞いたとき、真っ先に角さんのことが頭に浮かんだ。
どうされているだろう。ご無事だろうか。
けれど怖くて、連絡をすることができなかった。
情報がないままだったので、恐る恐るネットで検索をした。
すると、角さんがInstagramを震災の年の12月から始めておられるのを見つけた。
安堵しながら、私はすべての投稿を読み終えた。
その中に、胸を打つ一文があった。
能登はやさしや土までも
能登を言い表す言葉として、よく使われる言葉だという。
けれど、地面が割れ、家が潰れ、今もなお電気も水道も届かない場所があるという。
それでも当たり前のように納税通知が届き、「仕方ないから払ったよ」と語る人がいると知り、私は唖然とした。
優しすぎはしないだろうか。
それはもう、諦めの境地なのかもしれない。
そういえば、選挙カーはまったく回ってこない――
2025年7月4日、と記されていた。
その静かな言葉の重みが、心に残った。
人生は短い
角さんの投稿の中で、もう一つ忘れられない言葉がある。
やなせたかしの「ノスタル爺さん」より。
人生は短い
昨日の少年少女も
明日は爺さん婆さん
またたく間に過ぎていく
それなら楽しく生きよう
すべての人にやさしくして
やがて煙になって消えていくのさ
本当に、その通りだと思う。
昨日まで若かった私も、気がつけばずいぶん歳を重ねた。
お気に入りの服を繕いながら、漆の椀を毎日手にしながら、時間は確実に過ぎている。
Instagramを始められたのが震災の年の12月。
そこからの歩みを追いながら、私はただ「よかった」と何度も呟いていた。
あのとき工房で見た笑顔を思い出す。
あの椀を手にするたびに、能登の空気を思い出す。
物を大切にするということは、
人との縁を大切にすることでもあるのだと、改めて思う。
角さんのInstagramに出会えたこと。
そして、今もなお椀を使い続けられていること。
その両方に、感謝している。
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