格差社会

5月の連休の雨は寒いものと決まっている。
昨日が夏日だっただけに余計に寒く感じてしまうのかもしれない。
ワーキングプアー、ネットカフェ難民と社会の底辺にいる人たちの問題が取り上げられている。
昨日のニュースで見た女性は未だ20才代だった。
家賃が払えず、やむを得ずネットカフェに泊まっているとか。
本人は「計画性のない生活を反省している」といったコメントが聞かれた。
20才代の若者の職場は本当にないのだろうか。
今朝のニュースでは新卒の初任給が値上がりしているとか。
二つのニュースは一見矛盾している。
が、これはお互いに求める要件があってないという結果なのかも知れない。
求める人と求められる人が一握りの社会の人間であれば各差社会が出来るのもうなずける。
これは長い年月の間にじわじわと広がった結果である。
ゆとり教育と言われるようになって久しいが本当のゆとり教育というのは学校の休みを増やすことではないような気がする。
日々に追われる共働き家庭では「早く早く」と子供をせきたてることで一日が終わり寝顔をみて後悔するという両親の姿がある。
最近の犯罪の無残さも人の情の希薄さを感じている。
表面の競争はなくなっても現実社会に競争が消えたわけではない。
社会の一面を変えるだけでは格差社会はなくならないだろう。
でも、目標のある社会が作れれば変わるかもしれない。
大きな荷物を持って山に向かう若者を見ると未だ、捨てた物ではないと思ってはいるのですが。

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