急かされる庭仕事と種を蒔く私
来週には一気に冬の気温になるとアナウンスがあり、庭仕事を急かされた。
種まきした苗を庭のどこかに定植しなければならないが、そのためのスペースを見つけるのも一苦労。雑草を抜き、空いた場所に植え付け、プランターを洗い、新しい土を入れて仮植えする作業に追われる。
家人に「沢山の苗がいる訳ではないから苗は買った方が楽だよ」と言われても、ついこぼれ落ちる種を拾ってしまう。それは単なる欲ではなく、「自分で育てた」という楽しみがあるからだ。
そういえば、種まきを始めたのはここ数年のことで、時間的に少し余裕が出来た事がきっかけだった。しかし、時間の余裕ができるにつれて、体力は反比例するように減っていった。
残りの時間を考え、「楽しいことは前倒し」と実行してきたここ数年。しかし、こうして花の種を蒔いている私は本当に楽しんでいるのだろうか?それともただのケチなのだろうか?このしんどさが続くとガーデニングが嫌になりそうだ。
来年は、こんなふうに追い立てられないようにしようと心に決めている。「種を蒔かないと、花を愛でる楽しみが減る」などと感じなくてもいいように、少し肩の力を抜いて庭に向き合いたい。そして、来年の私は、もう少し要領よく、もう少し計画的に進めている自分でありたい。追い立てられるのではなく、季節の流れを自然と受け入れながら、穏やかに土と向き合う時間を大切にしたいのだ。今の「つい蒔いてしまう」という情熱が、少し落ち着いた形で続いていくことを願っている。
今日は家人にも私の倍以上に働いてもらい、ようやく春庭への取り掛かり程度の作業が終わった。冬の訪れとともに片付けや準備も一段落するだろうが、こうして毎年、季節に急かされながら庭に向き合い、そこから多くの発見と反省を得てきた。きっとこれからも、同じように庭と格闘しながら季節を感じ、楽しんでいくのだろう。来年も庭のどこかで、芽を出す小さな命に目を細め、やっぱり自分で育てる喜びに満たされる瞬間があるはずだ。それがある限り、私はまた種を蒔くのかも知れない。
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