書店の反射──スマホ時代の読書風景」

最近、書店に足を運ぶことがめっきり少なくなった。
かつて京都の大きな書店で、あれこれと階を移動しながら歩き回り、気がつけば疲れ果てるまで本を探し続けた記憶が懐かしい。しかし、最近ではそのような時間を過ごすことがなくなった。一番の理由は単純に本を読む機会が減ったことだが、それだけではない。書店に行かなくても本を楽しめる環境が整ってしまったのだ。
今や、スマートフォンの中には本や雑誌を読むためのアプリがずらりと並んでいる。楽天マガジンやFODを利用すれば、主要な雑誌は十分に楽しめる。さらに、オーディブルの存在が大きい。以前ならば、夜更けにベッドサイドの灯りをつけたまま、眠気が来るまで本を読んでいた。目が覚めるとまたページを開き、一晩中そうして過ごす日もあった。しかし、最近は、本を開く前に寝落ちしてしまうことも多くなった。そんなとき、オーディブルは非常に便利だ。
プロのナレーターが本を読み上げてくれるので、自分でページをめくらずとも物語の世界に没頭できる。あらかじめダウンロードしておけば、どこでも聞けるのが嬉しい。読み飛ばしの心配もないが、寝落ちしてしまうと何度も同じ部分を繰り返し聞く羽目になる。それでも、最新の本を惜しげもなく楽しめるのは、まさに現代ならではの贅沢だと感じる。
とはいえ、書店の持つ独特の雰囲気や、本が醸し出す紙の匂い、棚に並ぶタイトルを眺める楽しみがないのは寂しいものだ。確かに便利になったが、どこか味気なさも感じる。さらに、最近ではメルカリやブックバリューなどのオンラインマーケットで、新刊同様に美しい状態の本を格安で手に入れられることも、書店離れの一因になっている。
これは音楽の世界でも同じことが言える。かつてはCDショップを巡り、お気に入りのアーティストのアルバムを手に取る楽しみがあったが、今やストリーミングサービスが主流となり、スマホひとつで無限に音楽を楽しめる時代になった。かつて文化の香りを感じていたものが、すべてスマホで解決できてしまう現状に、便利さを享受しながらもどこか物足りなさを感じてしまう。
その影響か、京都へ足を運ぶ機会もめっきり減ってしまった。書店巡りの楽しみが減り、さらにスマホで何でも完結する世の中になった今、わざわざ出かける理由が少なくなったのかもしれない。もちろん、効率的で便利なことは確かであり、これが時代の流れなのだと理解している。しかし、ふと「何かが違う」と感じる日もある。
私たちは今、あらゆる価値観の見直しを迫られているのかもしれない。これまでの当たり前が少しずつ形を変え、新しい文化のあり方が生まれている。そうした変化の中で、かつての楽しみや体験をどう受け入れていくべきか、自分自身の中でも答えを探し続けている。
まるで、文明開化の音が再び鳴り響いているかのようなこの時代。その音が心地よく聞こえる日もあれば、どこか懐かしさと寂しさが交差する日もある。それでも、時代の流れに身を委ねながら、自分なりの楽しみ方を見つけていきたいと思う。
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