流れる星は生きている ‐ 藤原 てい

映画の帰りに立ち寄った本屋で有名な「流れる星は生きている」が目に付いた。
地下鉄に乗って」の映画のなかでも戦後の混乱期が転機になっていたのが心に残っていたのだと思う。
あまりに有名な本なので、読んでいると思っていたが、パラパラ読むと読んではいなかった。
読み始めると止めることも出来ず、一晩で読んでしまった。

北朝鮮の核実験が問題になっている時期に本屋に平積みするのには意味がある。
なかにし礼著「赤い月は子供の目で見た満州からの引き上げであるが「流れる星は生きている」は3人の子供を連れて引き上げた26歳の母親の手記である。
満州から北朝鮮、38度線を越えて釜山、船に乗り博多へと壮絶な引き上げである。
泥水を飲み、乳飲み子を背負い2人の幼子を両手に抱え、生きて故郷の諏訪にたどり着くまでの記録である。
実はこの本の中の母親が26歳であったことに驚いている。
北朝鮮の宣川で、藤原ていは帰国の機会を待って1年以上を過ごしている。
その間に受けた北朝鮮の親切と侮辱。
日本人同士の愛憎、猜疑心、いじめ、ののしり。
周囲の人たちと上手く付き合うために徹底的に猫を被ったという。
藤原てい氏は強靭な精神の女性である。
戦後は60年過ぎた。
当時の時代背景を理解できない世代が増えている。のではないだろうか。
なぜ、満州の平和な日が一転して流浪の民にならなければならなかったのか。
悲惨な引き上げを経験された方は高齢者となった。
が、難民キャンプは世界中に今でもある。
歴史や地理が削られれば、現在の日本の形の成り立ちが忘れられるのではないだろうか。
と、話はそれてしまいました。

今の時代だからこそ、もう一度「流れる星は生きている]を読み直してはいかがでしょうか。

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