理解できない小説-井上荒野

「今日はそのはなしはやめておきましょう」の本を読んだ時、気持ちがザワついて眠れなかった。
と、以前書いているのに食べ物を軸に書く作家と言う思い込みのせいか、その後3冊ほど読んで「何だろう、この気持ちの悪は」が拭えない。
ねじれた関係、救われない結末。
救われなくても結末があればまだいい、どこか途中で切り落とされたように終わる。
読み終わると毒でも飲んだかのように胸がつかえる。
「キャベツ炒めに捧ぐ」は、美味しそうな料理が次々に出て展開も早かったけれど、登場人物に私の感情が乗せられない。
しかし、多くの人に支持されているのだから、この感情は私に限られたものだろう。
小説の世界の人物だからわざと、プライドや羞恥心を失くして素のままで登場させているのかも知れない。
現実の世界で人は嘘をつき、見栄を張り、プライドや羞恥心を纏って、何気に他者に気を遣っている。
小説だから本音で書けるのか、それにしても私には暴力的にすら感じた。

寂聴と荒野の父井上光晴と母の三角関係を書いた本「あちらにいる鬼」は面白かった。
その後しばらく忘れていた作家だけれど、NHKの「人と暮らしと、台所」の番組で出会って、読んでみたくなった。
『錠剤F』が新刊だという。孤独をテーマにしている。
この本を読んだわけではないが、『錠剤F』で刊行記念インタビュー記事があった。
そこに「嫌な気持ちになる小説もいいじゃん、って私は言いたい」と言う記事があった。
そうなんだ、本は作家によってさまざまなジャンルがある。
たまたま、私に合わなかったと言うだけの事。読まなければいい事なのに気にかかる。

井上荒野のファンには申し訳ないが、初めて読みたくない作家に出会った。

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