偉人の足跡 – 北大路魯山人

魯山人は京都市の生まれなので、北陸出身ではない。
けれど、山代温泉に逗留した1915年は魯山人が魯山人になるための礎の土地となった。

山代温泉の旦那衆は魯山人を温かく迎え、旅館「吉野家」の主人は別荘を魯山人に提供した。
そこには、山代温泉の旦那衆が集い文化サロンとなった。
その建物が温泉町の総湯近くに「魯山人寓居跡 いろは草庵」となって残されている。


山代の別荘はどんな様子かね。

山代温泉を去った後も、吉野家の主人に会うと、いつもそう聞いていたそうだ。
玄関を上がると小さな囲炉裏の間がある。
囲炉裏の周りで山代の旦那衆は書や美術や骨董について語らったそうだ。
大正時代の山代温泉の旦那衆は趣味人が多かったのか、今より贅沢な時代だったようだ。
当時の魯山人は福山 大観という名前であった。
6歳で木版業を営む福田家の養子になっていた魯山人は、福田家で篆刻の基礎を身に着けた。
山代温泉で魯山人は、支えてくれた旦那衆の旅館の刻字看板を沢山残している。
いろは草庵は、その刻字看板を展示している。
魯山人は、書、篆刻、絵画、陶芸、漆芸、料理を極めた芸術家と言われている。
勿論魯山人の料理を知る由もないが、それ以外の作品は方々の美術館で目にする機会があった。
けれど、「これが魯山人の作品か」と心躍らせた記憶が無く、感動出来ない自分の見識の無さにがっかりしていた。
ところが、刻字看板に引き込まれた。
思いがけないほど刻字は深く掘られていて、のびのびとした文字はまるで紙に書かれた書の様だった。
この展覧会は6月28日まで。
魯山人は、これほどの仕事を後世に残して76才で人生を閉じた。
才能に恵まれたのか、生まれながらなのかどちらにしても羨ましい生き方だった、見事な人生を生きた偉人であった。

「日本百名山」の著者、深田久弥も石川県の出身で出身地の加賀市大聖寺番場町に「深田久弥の文化館」がある。
私の好きな巨木があるらしい。
特に樹齢650年の銀杏が紅葉する時期がいいだろうと思うので、それまでは行かないでおこうと思う。

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