昭和100年の年明け、変わる正月
2025年最初の朝、外はいつも以上に静まりかえっている。 きなことの散歩は私の日課だが、この季節は特に厳しい。 日の出前、外気温は-1℃。手袋から出た指先が冷たい。
いつも、きなこを見つけて元気よく走って来る近所のワンちゃんも、この朝は家の中に姿を消している。
住宅街の家々は雨戸が閉まったままで、人の気配が感じられない。
坂道を上がる頃には体がぽかぽかと温まり、手袋を外したほど。こうして冬の寒さを乗り越える瞬間に、小さな達成感があるのがこの散歩の魅力だ。
ふと歩きながら、気づいたことがある。 玄関に正月飾りを見かけなくなった。 かつてはどの家も門松やしめ飾りを整え、新年を迎える準備に余念がなかった。
今年は昭和100年と言うけれど「昭和」と言う時代が一番長い私にも「昭和」は遠くなった。
けれどお正月の準備をする気持ちは変わらない。
家人は28日に押し入れの天袋からクリスマスグッズと同じくらいの正月グッズを出して来た。
「もう要らないかな」と言ったのは「重箱」くらいだった。
重箱に詰めるほどのお節はもう作らない。お正月だから特別と言うご馳走もなくなった。
これからの正月はどうなるのだろうか。昔のように豪華な料理や飾り付けがなくても、正月を迎える喜びは変わらないはずだ。
同じく、年越しそばを食べた後、家族で映画を観ながらのんびり過ごす時間や、オンラインで離れて暮らす家族や友人とのつながり、最近、新年の挨拶を交わすのもその一つだ。時代に合わせて正月の形が変わるのは自然なことだと思う。
正月というは、華やなものだけではない。きた道やこれから進む未来を考える時間でもあるのかもしれない。
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