比叡山の守護神と大津の歴史を紐解く – 日吉大社への初詣
比叡山の麓に広がる坂本町に鎮座する日吉大社は、崇神天皇7年に創祀された全国約3800の「日吉」「日枝」「山王」神社の総本宮である。私は日吉大社の氏子の習わしとして、毎年この神社に初詣をしている。
元旦の朝、午前中の早い時間に初詣へ行った。早朝の参拝は駐車場も境内も混雑がなく、思いがけずゆっくりと参拝することができた。この地に暮らして半世紀近くになるが、今回改めて日吉大社の全容を知る機会となった。
日吉大社は全国の総本宮としての立派な佇まい、そして山王祭や節分行事、紅葉の名所として知られている。私の知識としてはそんなものだった。しかし、掲示板をゆっくり読んでみると、私の知らなかった多くの歴史や伝承に驚かされた。
平安京遷都の際、この地が都の表鬼門(北東)にあたることから、魔除けや災難除けを祈る重要な社として位置づけられた。また、伝教大師が比叡山に延暦寺を開かれて以来、天台宗の護法神としても広く崇敬され、今日までその役割を担っている。
東本宮と西本宮の由来
私は普段、西本宮のある横道から境内に入っている。この道は穴太積みの石垣に囲まれた道で、しっとりとした山の香りが感じられる趣深い道である。
その入り口にある西本宮の神様が、奈良の三輪山に鎮座する大神神社から迎えられた「大己貴神」であることは、今まで全く知らなかった。国土開拓と統治の神様として祀られているそうである。
日吉大社には「東本宮」と「西本宮」があり、私は東本宮が主神だと考えていた。
日吉大社の起源は裏山「八王子山」に比叡山の神様「大山咋神」が降り立ったことに始まった。そのため、地元の神様である「東本宮」が先に祀られ、奈良から来られた神様は「西本宮」に祀られることとなった。
しかし、都の神様の方が格上とされ、西本宮が「大宮」、東本宮が「二宮」と呼ばれるようになったそうである。
伝教大師が比叡山延暦寺を開く以前から、大津の町を守り続けてきた日吉大社。
その恩恵は地元市民にとって実感を伴うものである。
全国でも災害の少ない地域と言われる理由が、日吉大社の守護にあるという話は、誇らしいものである。
奈良から地元の神様のもとに引っ越してこられたという話は、なんとも人間味が感じられるし、都の神様が格上との考え方も都神話の現在にも通じている。
神々の歴史の中にも、私たちの日常に通じるようなエピソードがあるのは面白い。
こういう神様の話も「はたらく細胞」のように擬人化して説明すると、大人も子供も一気に理解し、関心が増すような気がするが如何であろうか。
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