私 新聞止めました
新聞を止めるきっかけはバリ旅行だった。
旅から帰ると積み上げられた新聞と郵便物
これの始末だけで、一日は潰れる。
この際と思って新聞の中止を販売店にfaxするとスーッと気分が楽になった。
と、いうのも時々新聞の休刊日の朝ホッとする気持ちが何処かにあったから。
新聞を楽しみに読んでいたのは、専業主婦だった期間。
最近は溜まる新聞に追い立てられるようでしんどくなっていた。
新聞代に見合うほど読むためには数時間を割かなければ意味がない。
ざっと見るだけならなくても事足りる。
それでも新聞を止めるのは何か義務のひとつを失礼するかのような罪悪感が付きまとった。
40年以上自分で新聞代を払っているので、新聞のない朝はなかったから。
新聞のない朝がひと月近くなった。
罪悪感どころか、開放感がある。
新聞を読むのに疲れていたとは思いも寄らなかった。
コメント
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何かを止めるって簡単そうでなかなかできませんよね。
日課にしていることや、義務感だけで続けてることがどんどん増えて・・・、一度見直さないと!
タケさん
ホント、そうなんですよ。40年の歴史ですからねえ。
ここ数年グズグズ考えていた事でしたが、辞めても何も感じないということは読んでなかったに等しかったのですね。
清々している自分に一寸驚いています。